実は地名にヒントがあります。ただし福島では、1本の物差しで読むと外れます。2026年の地価公示で福島県に置かれた住宅地の標準地305地点の標高を1点ずつ測ると、「浜」の付く町はいわき市の小名浜(おなはま)下神白が3.2m、小名浜岡小名1丁目が3.3m。ところが同じ「浜」でも、二本松市の小浜(おばま)字芳池は277.1mでした。差は273.9m、およそ274mです。県全体の中央値は193.4mですが、いわき市の70地点だけなら9.3m、郡山市の52地点は242.6m、南会津町の4地点は561.0m。福島県は浜通り・中通り・会津の3つに割れていて、開くべき地図もその3つで入れ替わります。
この記事でわかること
- ✓ 「浜」の8地点は、いわき市の3.2mから二本松市の小浜277.1mまで。差は273.9mで、福島では字だけでは高さが決まらない
- ✓ 自然災害伝承碑は福島県に70基。うち31基が南相馬市に集まり、災害名では東日本大震災44基、1888年の磐梯山噴火9基
- ✓ 郡山駅の地表は226.7m。それでも洪水浸水想定(想定最大規模)では0.5〜3mの区域に入る
福島の「浜」は小名浜3.2m・小浜277.1m 同じ字が274m離れている

町名や字名に「浜」が入る標準地は、県内に8地点あります。いわき市の5地点と、残る3地点で別の県のように見えます。
| 地表の標高 | 市町村 | 標準地の住所 |
|---|---|---|
| 3.2m | いわき市 | 小名浜下神白字狩亦 |
| 3.3m | いわき市 | 小名浜岡小名1丁目 |
| 3.4m | いわき市 | 小名浜字燈籠原 |
| 5.5m | いわき市 | 小名浜諏訪町 |
| 5.7m | いわき市 | 小名浜玉川町東 |
| 59.6m | 福島市 | 東浜町 |
| 64.2m | 福島市 | 上浜町 |
| 277.1m | 二本松市 | 小浜字芳池 |
いわき市の5地点はすべて小名浜で、図の青い帯に港と住宅地が一緒に載っています。福島市の2つは、盆地の37地点(中央値77.1m)の中では低い側。二本松市の小浜字芳池277.1mは、二本松市5地点の最高地点です。
字ごとに数え直しても、福島では字が高さを言い当てません。
| 字 | 地点数 | 標高の中央値 | 5m未満の地点 |
|---|---|---|---|
| 浜 | 8 | 5.6m | 3 |
| 沼 | 5 | 12.0m | 1 |
| 島 | 14 | 91.8m | 0 |
| 田 | 69 | 181.4m | 4 |
| 原 | 28 | 172.4m | 2 |
| 県全体 | 305 | 193.4m | 15 |
「沼」は5地点で中央値12.0m。いわき市平沼ノ内諏訪原3.5m、相馬市中村字川沼8.2m、相馬市新沼12.0m、鏡石町鏡沼276.3m、南会津町古町字小沼561.0m。低い3つが全部いわき市と相馬市です。湖沼の多い会津の字だと思って読むと外れます。
「津」は4地点で、1つも港ではありません。会津若松市北会津町中荒井204.6m、白河市会津町356.3m、中島村大字滑津299.3m、田村郡小野町大字谷津作430.7m。「会津」の津と、滑津・谷津です。徳島では「浦」13地点の中央値が2.6mで港の字でしたが、同じ読み方を持ち込むと、標高400mの山あいを海辺と読み違えます。
読者
「福島は3つに分かれていると言います。浜どおり中通会津。ではその分割は何に反映されていますか?」という質問が2008年に知恵袋に出ていました。3つに分かれているというのは本当ですか。
本当です。その質問のベストアンサーは浜通り出身の人で、「三地方での一番の違いは気候でしょう」と答えていました。ただ標高で並べると、気候より前に地面が違います。いちばん低い標準地はいわき市佐糠町2丁目の2.1m、いちばん高いのは南会津町古町字千苅の571.2m。同じ県の中で569mです。
標高はすべて国土地理院の数値標高モデル(5mメッシュ)と標高APIの値で、地表の高さ(東京湾平均海面からの高さ)です。建物は含みません。字の集計は市区町村名に加えて郡名も除いた町名・字名で行い、「河沼郡」「大沼郡」「南会津郡」のような郡名は字として数えていません。
住まいのリスクに対する備え
土地の履歴やリスクを知ったら、次は「起きたときにどうするか」です。最低限そろえておくと動けるものを挙げます。
一から集めると抜けが出ます。まずセットで用意して、家族の人数分と常備薬だけ足すのが早いです。
断水で最初に困るのがトイレです。備蓄で見落とされやすい一方、代用が効きません。
停電時は懐中電灯より、部屋全体を照らせるランタンの方が使えます。電池でも充電でも点くものだと、どちらが尽きても止まりません。
鍵につけて持ち歩けるサイズ。停電や夜道、内見での床下確認にも使えます。備えは「持ち歩けるかどうか」で使用率が変わります。
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浜通りは津波の地図 伝承碑70基のうち31基が南相馬市にある
国土地理院の自然災害伝承碑は、2026年8月27日現在で全国2,469基、うち福島県に70基。種別は地震43・津波39・洪水14・土砂災害10・火山災害10・その他7です(1基に複数付きます)。市町村別では南相馬市の31基が突出していて、次がいわき市5、本宮市5、耶麻(やま)郡北塩原村5、耶麻郡猪苗代町5。災害名は東日本大震災44基、1888年の磐梯山噴火9基、明治23年8月洪水3基です。
南相馬市の碑は、行政区ごとに数字を刻んでいます。原町区萱浜の「東日本大震災 殉職消防団員顕彰碑」は「市の沿岸部全域に高さ15mの大津波が襲来し、636名の尊い命が奪われた」。鹿島区北右田の碑は「40分後に海岸に大津波が襲来し、南右田行政区の家屋70戸全てが流失し、54名もの尊い命が失われた」。相馬市原釜の碑は、津波が「海岸から約4km先まで流れ込み」と書いています。

浪江町の慰霊碑は、集落の名前をそのまま刻みます。「高さ15mを超す大津波が町を襲った。請戸(うけど)・中浜・両竹・南棚塩の集落は全てのみ込まれた」「この地震と津波により、住民182名の尊い命が失われた」。写真の請戸小学校は、いま震災遺構として残されています。
ここまでが起きたことの記録です。いまの想定図を地点ごとに読み取ると、こうなりました。
| 地点 | 地表の標高 | 津波浸水想定(最大クラス) |
|---|---|---|
| 浪江町 請戸 | 4.2m | 5〜10m |
| 相馬市 原釜 | 6.1m | 0.5〜3m |
| いわき市 小名浜下神白 | 3.2m | 3〜5m |
| いわき市 小名浜岡小名・燈籠原・諏訪町 | 3.3〜5.5m | 色なし |
| いわき市 薄磯・豊間 | ― | 色なし |

色が濃いのは、小名浜の港のまわりと、岬に食い込んだ入り江です。標高3.2mの小名浜下神白が3〜5m。同じ小名浜の岡小名1丁目・燈籠原・諏訪町は3m台から5m台の低地なのに、丸印の位置には色がついていません。海ぞいに細い帯で色が入る薄磯(うすいそ)と豊間も、集落のある平地は白いまま。丸印の前後を20mずつずらして7点ずつ読み取っても、同じでした。

その薄磯の隣、豊間には碑があります。平豊間字下町の「東日本大震災慰霊碑」は「豊間地区は東日本大震災に伴う高さ8.5mの大津波に襲われ、壊滅的な被害を受けた。流失家屋は400戸を超え、住民85名もの尊い命が失われた」。市北部の久之浜町の碑は「波高7.45mの巨大津波(第2波)」で「607世帯が被災し、59名の尊い命が失われた」と記し、こう結んでいます。「大地震が起きたら大津波が来る。直ぐ逃げろ、高台へ。一度逃げたら絶対戻るな」。
読者
ハザードマップで色がついていなければ、そこは津波が来ない場所と考えていいですか。
その読み方はできません。豊間の碑は8.5mと刻んでいて、いまの津波浸水想定では丸印に色がついていない。この2枚は別の地図です。碑は起きたことの記録、浸水想定はこれから起きうることの想定。どちらが正しいかではなく、2枚とも開いて、自分の家がどちらに載っているかを見ます。
津波浸水想定は、福島県が公表した最大クラスの津波を国土地理院が配信しているタイルから読み取ったものです。ふだんの高潮や川の洪水とは別の地図で、浸水想定区域とハザードマップの見方は別の記事にまとめています。色がついていない場所は「その想定図に区域が引かれていない」という意味で、「過去に水が来なかった」ではありません。
中通りは標高227mでも洪水の地図 郡山駅は0.5〜3mの想定に入る
郡山市の住宅地の標準地は52地点で、中央値242.6m、いちばん低い地点でも217.9mです。字で見ると「原」が28地点・中央値172.4m。中通りの「原」は大槻町字原田北256.1m、富田町字西原242.5m、日和田町字原240.8m、小原田5丁目227.1mと、そろって240m前後に並びます。安積(あさか)原野と呼ばれてきた台地です。

同じ配信タイルを郡山市で読み取ると、標高226.7mの郡山駅が0.5〜3m、標準地の小原田5丁目227.1mも0.5〜3mの区域に入りました。一方、日和田町字原240.8mと安積町大森町261.4mは区域外です。差は14mから34m。海抜が200mを超えていても、色は変わります。
読者
郡山は標高200m以上あって、海からも遠い街です。それでも水が来るんですか。
海抜と洪水は別の話です。津波と高潮は海面からの高さで決まりますが、川の洪水は「その川の水面と、自分の土地の高さの差」で決まります。だから標高240mでも、川ぞいの低い側なら色がつく。同じ市の中で答えが割れます。

この台地は、もともと水が無い土地でした。東北農政局の「安積疏水物語」は「明治のはじめ郡山周辺は、水に恵まれず奥州街道のさびしい寒村でした」「年間雨量は1,200mmあまり」で「毎年のように干害をうけていました」と書いています。明治12年10月27日に着工し、明治15年10月1日に通水。40万7千円と延べ85万人を3年かけて投じ、水路延長130kmで始まった疏水は、いま総延長534km・水田10,000haになりました。
地名の側も水ではありません。郡山市の公式サイトは「この安積郡衙があった周辺が『郡山』と呼ばれていた時期があり、それが現在の『郡山』の地名のおこりと思われます」と説明しています。水の無い台地に水を引いた街に、いまは洪水浸水想定の色がついています。
中通りの碑は阿武隈川の碑です。本宮市本宮字南町裡の「大洪水實測標」(1890年建立)は、明治23年8月7日の氾濫で「旧本宮町内の被害は流失111戸、損壊61戸、浸水817戸」と記し、「この標柱の高さが氾濫水位の実測値である」と続けます。同じ本宮市の「本宮築堤完成記念碑」(2022年建立)には、2002年の台風6号で建物の浸水113棟、2019年の令和元年東日本台風で「住宅への浸水1045棟、7名の死者等の被害」と刻まれています。
川だけでもありません。須賀川市滝地区の慰霊碑は、2011年3月11日の地震で「農業用ダムである藤沼湖の堰堤が決壊、約150万トンの水が鉄砲水となって下流地域を襲った」「滝・北町地区で7名の尊い命が奪われ」と記します。須賀川市の標準地10地点の中央値は256.2m。標高256mの街で、地震のあとに水が来ました。
会津は火山の地図 桧原湖と小野川湖の底に集落が沈んでいる
会津若松市の標準地23地点の中央値は219.5mで、市が公式サイトに載せている海抜218.32mとほぼ一致します。市の概要は「古事記によると、古い時代には『会津』ではなく、『相津』と表記されていました」とし、大毘古命(おおひこのみこと)と建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)が「出会った場所を『相津』と言うようになったというのが、由来となります」と書いています。人が出会う場所の名前で、災害の字ではありません。

1888年(明治21年)7月15日の朝、磐梯山の一部である小磐梯が崩れ、岩なだれが北の麓へ流れ下りました。刻まれた数は碑ごとに違います。猪苗代町字土町の「磐梯山災死者招魂碑」(1889年建立)は「北麓の5村11集落が埋没した。166戸の家屋が倒壊し、死者461名、傷者70名」。同じ猪苗代町の「磐梯山破裂罹災死没之墓」は「この災害で477名が亡くなり、当地には姓名不詳の52名が合葬されている」。461名と477名は、どちらも碑に残っている数字です。
いちばん細かいのは北塩原村桧原(ひばら)字雄子沢の「磐梯山噴火非命供養」(1894年建立)です。「元雄子沢集落は小磐梯山から北麓約4kmに位置し、全20戸が明治21年7月15日の磐梯山噴火による岩なだれの直撃を受け、その数分後に泥流に埋没し105名が亡くなった。生存者は当時不在にしていた者のみで、帰宅した彼らの住まいの形跡は皆無であった」。

写真の湖の底には、宿場町があります。北塩原村桧原の碑は「桧原集落は明治21年7月15日の磐梯山噴火により川がせき止められてできた桧原湖に水没し、現在の地に移転した」と記します。碑文は続けて、当時の集落は小磐梯山の北約12kmで、岩なだれの到達範囲(9km)の外にあり直接の被害は無かったが、範囲の内側で農作業をしていた10名が亡くなったと書いています。岩なだれが届かなかった村が、そのあと水に沈みました。
隣でも同じことが起きています。北塩原村桧原字小野川の「磐梯山噴火過去各靈埋没供養之碑」(1988年建立)は「当時の小野川集落は小磐梯山の東北東約8kmに位置し、山体崩壊の土砂に集落は埋まっていないが、川がせき止められてできた小野川湖に水没し、12戸全戸が移転を余儀なくされた。集落の犠牲者は4名であった」。いまは観光地の湖です。その水面の下に、村があった場所があります。
高台にいれば助かるとも限りませんでした。猪苗代町字名家道上の「殉難之精霊」は、崩れた土砂が長瀬川に流れ込んで泥流になり長坂地区を襲ったこと、「家屋は高台にあったため被害は少なかったが、死者は80名(生存者60名余り)」だったことを刻んでいます。家は残って、人が亡くなった集落です。
読者
会津の災害というと、雪の話だと思っていました。火山の碑がそんなに多いんですか。
福島県の伝承碑70基のうち火山災害は10基で、9基が1888年の磐梯山噴火です。ただ会津は火山だけの土地でもありません。県内で最も古い伝承碑は西会津町の「大杉山村慶長地震遭難者供養塔」(1752年建立)で、1611年の会津地震で飯谷山が大規模に地すべりを起こし、山麓の大杉山村が土砂に埋まって100名を超える人が亡くなったと刻まれています。
そして2026年8月20日、その磐梯山の北側にある北塩原村で、1時間に約100ミリの雨が降りました。観測の記録はこちらにまとめています。1888年に村が埋まり、湖ができ、その湖のほとりに人が住んでいる場所です。会津で開く地図は、火山のハザードマップと、土砂災害警戒区域の2枚になります。
自分の町で同じことをする手順(無料)
- 国土地理院の「地理院地図」で住所を入れ、「自分で作る色別標高図」を重ねる。福島は県内で569m違うので、県や市の平均ではなく自分の地点の数字を見る
- 「重ねるハザードマップ」で津波・洪水・土砂を1枚ずつ重ねる。浜通りは津波、中通りは洪水とため池、会津は土砂と火山から開く
- 同じ画面で「自然災害伝承碑」を表示し、家のまわりの碑文を読む。福島県の70基には、浸水した高さ・流された戸数・亡くなった人数が刻まれている
- 家から避難場所まで実際に歩いて時間を測る。久之浜の碑にある「直ぐ逃げろ、高台へ」は、歩ける距離にしか効かない
梅田・渋谷・亀戸・真備、横浜の「谷」と「島」、徳島の「島」と「浦」と読み比べると、福島だけが字で読めません。梅田も横浜の「島」も徳島の「島」も低地の印でしたが、福島の「島」14地点は中央値91.8mで、南会津町の田島は557.6m。同じ字が、海のそばと山の上の両方に付いています。
地名は入口です。福島の「浜」は3.2mと277.1mに割れていて、字だけでは高さが決まりません。決まっているのは、開くべき地図のほうです。そして豊間の碑が刻む8.5mと、いまの想定図の白は、同じ1枚には載っていません。自分の家の住所で、両方を開いてみてください。
この地名の続きを読む
- 福島・北塩原村で1時間に約100ミリ1888年に村が埋まり、桧原湖ができた磐梯山の北側。その村に2026年8月20日に降った雨
- いわき市はどんな町?人口・世帯・住まいを公開データで見る「浜」の5地点が集まる街。標準地70地点の中央値は9.3m
- 郡山市はどんな町?標準地52地点の中央値242.6m。郡山駅は洪水浸水想定0.5〜3m
- 福島市はどんな町?東浜町59.6m・上浜町64.2m。盆地の中の「浜」
この記事の集計条件
標高は国土地理院の地理院タイル「数値標高モデル(DEM5A・5mメッシュ)」を緯度経度で切り出して色別標高図と陰影を作り、淡色地図を重ねました。丸印の数値は各地点の地表の標高(東京湾平均海面からの高さ)で、建物は含みません。市町村別・字別の集計は、国土数値情報「地価公示」2026年のうち用途が住宅の福島県の標準地305地点の住所と、国土地理院の標高APIで取得した標高によります(全国17,612地点の取得は2026年8月20日)。字の集計は市区町村名と郡名を除いた町名・字名で行いました。
津波浸水想定(最大クラス)と洪水浸水想定(想定最大規模)の図、および地点ごとの浸水深は、ハザードマップポータルサイト「重ねるハザードマップ」の配信タイル(作図時点の掲載内容)をズーム16で読み取ったものです。自然災害伝承碑の基数・種別・市町村別・災害名別と、引用した碑文は、国土地理院「自然災害伝承碑」の公開データ(2026年8月27日現在・全国2,469基)によります。
安積疏水の数値は東北農政局「安積疏水物語」、地名の由来は郡山市「地名の由来」と会津若松市「会津若松市の概要」によります。安積疏水の完成時期は農政局(明治15年10月1日通水)と郡山市(明治15年8月完成)で記述が異なるため、本文は通水日を採りました。写真はウィキメディア・コモンズ(Wikimedia Commons)の素材を、それぞれのライセンスに従って使用しています。アイキャッチも同じ桧原湖の写真(シグマ64・クリエイティブ・コモンズ 表示 3.0)です。
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