実は地名にヒントがあります。2023年3月、地図会社ゼンリンの公式アカウントが徳島駅のまわりを青い線で囲んで「徳島って、マジで島なんですね!!」と投稿し、2.2万件のいいねが付きました。地名のとおりでした。2026年の地価公示で徳島市に置かれた住宅地の標準地40地点の標高を1点ずつ測ると、北常三島町3丁目1.0m、住吉1丁目1.0m、出来島本町2丁目2.0m、新南福島1丁目1.6m。40地点の中央値は1.8mで、30地点が3m未満です。同じ徳島県の海ぞいでは「浦」の町に県の想定で津波が13分で来て、山あいの「歩危(ぼけ)」と「ツエ」は崖を指しています。ヒントは3種類あって、見る地図がそれぞれ違います。
この記事でわかること
- ✓ 徳島市の住宅地の標準地40地点は中央値1.8m。「島」の付く町は常三島1.0m・出来島2.0m・新南福島1.6mで、城のある「徳島」自体が吉野川河口の中州の名前
- ✓ 「浦」の町は県の津波想定で、日和佐港口に13分・最高9.9m、牟岐に13分・9.7m、宍喰に9分・16.3m。県内の「浦」13地点の標高は中央値2.6m
- ✓ 「歩危」「ツエ」は崖。土砂災害警戒区域は三好市の2,092か所が県内最多で、低地の松茂町・北島町・藍住町はゼロ。見るべき地図が町で入れ替わる
徳島市の「島」は川の中州 常三島1.0m、住吉1.0m、出来島2.0m

図の青い部分が、吉野川の河口に広がる徳島市の中心です。眉山(びざん)と城山を除いて、市街地のほぼ全部が海面から3m以内に収まります。住宅地の標準地で見ると、北常三島町3丁目1.0m、中常三島町2丁目1.1m、住吉1丁目1.0m、富田橋1丁目1.0m、幟町4丁目1.2m、新蔵町2丁目1.4m、下助任町1丁目1.5m、新南福島1丁目1.6m、北沖洲1丁目1.8m、出来島本町2丁目2.0m。いちばん低いのは川内町の0.6mで、いちばん高い入田町でも29.4mです。
徳島市の公式サイト「とくしまヒストリー」によると、この地は1585年(天正13年)に蜂須賀家政が城を築くまで「渭津(いのつ)」と呼ばれていました。徳島新聞の「とくしま雑学事典」は、家政が着目したのは「海に開けた吉野川河口デルタ(中州)」で、「助任川や寺島川などの川に囲まれた島状の地形だったため、『徳』という縁起の良い文字を入れて『徳島』と命名した」と書いています。郷土史家の河野幸夫氏は、東に福島があるので福島に対して徳島と名付けたのではないかと推定しています(徳島市公式サイトが紹介。決め手は無いとしています)。つまり「島」は縁起で付けた字ではなく、地形の字です。

治水地形分類図を重ねると、常三島・住吉・福島・出来島の丸印はすべて薄い緑の氾濫平野の上にあり、その間を青い縞の旧河道が走っています。今の助任川・新町川・福島川・沖洲川は、かつて吉野川が何本にも分かれて海へ出ていた名残です。沖洲と津田の黄色の丸模様は砂州で、川が運んだ砂が海に押し出されてできた土地です。
読者
「島でもないのに『島』がつく事に違和感を感じます」という質問をネットで見ました。徳島は本当に島なんですか。
本当に島です。その質問は2011年に知恵袋に投稿されたもので、ゼンリンの担当者も2023年に「徳島は、名前になんで『島』がつくんだろう」と疑問に思って地図を確認したと、ニュースサイトのENCOUNT(エンカウント)に答えています。徳島駅のまわりは助任川と新町川に囲まれていて、市長が「ひょうたん島」と呼んで観光の遊覧船を出しているくらいです。ただし島の高さは1〜2mしかありません。

標高はすべて国土地理院の数値標高モデル(5mメッシュ)の値で、地表の高さです。本文の標準地の標高は国土地理院の標高APIの値で、図の丸印の数値(5mメッシュ)とは小数点以下で食い違うことがあります。
住まいのリスクに対する備え
土地の履歴やリスクを知ったら、次は「起きたときにどうするか」です。最低限そろえておくと動けるものを挙げます。
一から集めると抜けが出ます。まずセットで用意して、家族の人数分と常備薬だけ足すのが早いです。
断水で最初に困るのがトイレです。備蓄で見落とされやすい一方、代用が効きません。
停電時は懐中電灯より、部屋全体を照らせるランタンの方が使えます。電池でも充電でも点くものだと、どちらが尽きても止まりません。
鍵につけて持ち歩けるサイズ。停電や夜道、内見での床下確認にも使えます。備えは「持ち歩けるかどうか」で使用率が変わります。
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吉野川の水害 明治25年に329人、善入寺島の3,000人が立ち退いた

「島」の町がどれだけ水に浸かってきたかは、国土交通省の吉野川水系河川整備計画に記録があります。慶応2年(1866年)の「寅の水」は死者2,140人から3万余人と記録に幅があるほどの洪水でした。明治25年(1892年)7月の洪水は死者329人(『吉野川事典』)。大正元年(1912年)の台風では死者・行方不明者95人、床上浸水26,708戸。昭和36年(1961年)の第2室戸台風で床上浸水15,462戸、平成16年(2004年)の台風23号では岩津で戦後最大の毎秒16,400m³を記録し、床上745戸・床下1,975戸が浸かりました。
国が本格的に堤防を築いたのは明治40年から昭和2年の第一期改修工事で、その目玉が善入寺島(ぜんにゅうじじま)の遊水地化でした。四国社会資本アーカイブスによると、島には大正初期に約500戸、3,000人が住んでいて、内務省が全島買収の方針を示すと島民は計画変更を陳情しましたが動かず、大正3年までに100余戸が立ち退き、大正4年には残り400戸に強制退去命令が出ました。今の善入寺島は畑と花畑で、住む人はいません。徳島市の「島」が街のままでいられるのは、上流に人が住まなくなった島があるからです。
読者
徳島市の中心は堤防ができてからは安全ということですか。
川の洪水については、国の想定で堤防が守る前提です。ただ整備計画は、岩津より上流で堤防整備率が約65%、約18kmが無堤のままと書いています。そしてもう1つ、徳島市の「島」には川と別の水があります。次の図です。
津波の図では「島」の町がほぼ全部色つき 徳島市に43分で4.7m

徳島県が2025年9月に公表した南海トラフ巨大地震の津波想定では、徳島市マリンピア東端の最高津波水位は4.7m、津波の到達(水位1m上昇)は地震から43分です。小松島市本港奥で44分・4.8m、鳴門市里浦海岸で50分・5.7m。標高1〜2mの「島」の町に、43分後に海面より4.7m高い水が来ると、図のように眉山などの丘以外がほぼ全部色つきになります。整備計画はさらに、「吉野川の河口部には約20mの液状化層が存在」すると書いています。堤防の下の砂の層が揺れで液状化すると、堤防そのものが沈む恐れがあるということです。
津波浸水想定の図は、堤防や水門が地震で壊れた場合を含む最大クラスの想定です。ふだんの高潮や川の洪水とは別の地図で、洪水浸水想定はハザードマップポータルで別に重ねられます。徳島市の「島」は洪水・高潮・津波の3枚を見る町です。
「浦」の町は津波が13分で来る 日和佐13分・牟岐13分・宍喰9分

徳島県の海ぞいには「浦」の付く町が並びます。地価公示の標準地で「浦」を含む13地点の標高は中央値2.6mで、11地点が5m未満。美波町日和佐浦2.6m、牟岐町牟岐浦3.7m、阿南市橘町大浦1.5m、阿南市津乃峰町長浜1.1m、鳴門市里浦0.9m。日和佐の図を見ると、町は日和佐川と海に挟まれた青い平地に収まり、三方が山です。

県の2025年の想定で、津波の到達(水位1m上昇)は美波町日和佐港口に13分、由岐漁港口に15分、牟岐漁港湾口に13分、海陽町浅川湾に13分、宍喰漁港に9分、鞆浦漁港口に8分です。最高津波水位は宍喰漁港中央部16.3m、由岐漁港口11.9m、浅川湾10.8m、日和佐港口9.9m、牟岐漁港湾口9.7m。徳島市の43分・4.7mと比べると、時間は3分の1、高さは2倍以上です。「浦」の町は標高2〜3mで、まわりの丘は白いまま。図が言っているのは「低い所から高い所へ、13分以内に」です。

「浦」の町には、津波の碑が残っています。徳島県教育委員会の調査で県内39基、うち27基が海部郡で、海陽町だけで16基。19基は2017年に国の登録記念物「南海地震徳島県地震津波碑」になりました。牟岐小学校前の大震潮記念碑(昭和6年建立)は、1854年の安政南海地震について「申刻午後四時大地震暫ク揺リ丈餘ノ逆浪襲来」「家屋ノ流失六百四十戸溺死三十九名」と刻み、「油断無ク避難ヲ為ス事肝要ナリ」と結んでいます(気象庁徳島地方気象台の転記)。

いちばん古いのは美波町東由岐の康暦碑(こうりゃくのひ)で、1380年(康暦2年)11月の建立です。徳島県の「レキシルとくしま」によると、碑文そのものに地震や津波の記述はありませんが、1815年の『阿波志』が「康暦碑由岐東浦に在り康暦二年庚申十一月十六日海飜て震トウす死亡甚だ多し此に合葬す」と記し、『太平記』は1361年の地震で「阿波の雪湊と云う浦には俄に大山の如き潮漲り来たりて在家千七百余宇悉く引汐に連れて海底に沈み」と書いています。碑は、その津波から19年後に約70人の名を8段に刻んだものです。
地名にも津波が残っています。徳島新聞(2017年4月)が町村史から拾った例では、旧由岐町の舟城(ふなぎ)は「津波で舟が打ち上げられ、さばけたものが松の木にかかっていた場所」、木岐の笘越(とまごえ)は「大津波があったとき、雨露をしのぐために船を覆う『とま』が流れ着いた場所」。「浦」は港の字で、その裏に津波の字が並んでいます。
読者
海の近くに家を買うなら、「浦」の町は避けたほうがいいですか。
町名で決めるより先に、県の想定で「何分で来て、何mか」と、家から高台まで何分で歩けるかを見ます。日和佐なら13分で1m、26分で最高9.9mです。買う前に、町が指定する避難場所まで実際に歩いて時間を測るのがいちばん確かです。
「歩危」「ツエ」は崖 土砂災害警戒区域は三好市が2,092か所で県内最多

地名の3つ目のヒントは山にあります。三好市の大歩危(おおぼけ)・小歩危(こぼけ)について徳島県の観光サイトは、「断崖を意味する古語『ほき(ほけ)』から付けられたという説と、『大股で歩くと危ないから大歩危』、『小股で歩いても危ないから小歩危』という説があります」と2説を並べています。どちらの説でも意味は崖です。大歩危駅の地表は263.6m、小歩危駅は323.4m、標準地のある山城町西宇は471.9mで、谷底から集落まで200m上がります。


崖の地名は「歩危」だけではありません。徳島新聞の2017年の記事で、那賀町木頭名の山上全(あきら)さん(75)は「あの『ツエ』も、こっちの『ツエ』も、2004年の豪雨でできた」と、山の崩落跡を指して話しています。ツエは西日本で崖や山崩れを指す言葉で、隣の集落の阿津江(あづえ)は2004年の豪雨で大規模な山腹崩壊が起きた場所です。元建設省職員の小川豊氏は1995年の著書『崩壊地名』で、阿津江を「崖崩れの上、崖崩れの辺りを意味する」と書いていました。旧木屋平村の杖谷(つえだに)も、神社の棟札から「古くは杖谷ではなく、崩谷が本当だ」とする指摘があります。
徳島県の土砂災害警戒区域は2026年3月31日現在で県内12,634か所(土石流2,308・急傾斜地9,885・地すべり441)。市町村別では三好市の2,092か所が最多で、美馬市1,479、阿南市1,304、つるぎ町1,291、那賀町965、徳島市872、美波町477、海陽町448、牟岐町190と続きます。一方で吉野川の低地にある松茂町・北島町・藍住町は指定がありません。「島」の町は水の地図、「歩危」の町は土砂の地図。同じ県の中で、見るべき地図が入れ替わります。
字で数えると「島」「浜」「川」は1.5〜1.7m、「田」は2.9m
徳島県内の住宅地の標準地101地点を、住所に入る字ごとに数えると次のようになります。市町村名は除いて、町名・字名だけで数えました。
| 字 | 地点数 | 標高の中央値 | 5m未満の地点 |
|---|---|---|---|
| 浜 | 7 | 1.5m | 7(全部) |
| 島 | 17 | 1.6m | 13 |
| 川 | 10 | 1.7m | 9 |
| 津 | 4 | 1.8m | 4(全部) |
| 開 | 4 | 1.9m | 4(全部) |
| 浦 | 13 | 2.6m | 11 |
| 田 | 18 | 2.9m | 13 |
| 県全体 | 101 | 2.0m | 81 |
徳島県は101地点のうち81地点が5m未満で、県全体の中央値が2.0mしかありません。だから横浜のように「谷は高台」といった逆転は起きず、字は素直に地形を指します。「島」の17地点で5m未満に入らなかった4地点のうち3つは吉野川市の鴨島町(14〜15m)で、こちらは吉野川中流の段丘の上にある「島」です。同じ字でも、河口の島と中流の島では高さが10m以上違います。
梅田・渋谷・亀戸・真備を測った1本目、横浜の「谷」が高台だった2本目、木曽の「蛇抜」の3本目と並べると、徳島は地名と地形がいちばん素直に重なる県でした。理由は単純で、街が河口の中州と、海辺の浦と、山の谷にしかないからです。
自分の町で同じことをする手順(無料)
- 国土地理院の「地理院地図」で住所を入れ、「自分で作る色別標高図」を重ねる。「島」「浦」の町は青、「歩危」「ツエ」の町は茶色の中の集落を見る
- ハザードマップポータルサイトの「重ねるハザードマップ」で、洪水・津波・土砂の3つを1つずつ重ねる。徳島市は洪水と津波、海部郡は津波、三好市は土砂が主役
- 徳島県の津波浸水想定(2025年9月公表)の資料で、自分の港の「到達時間」と「最高津波水位」を控える。日和佐なら13分と9.9m
- 家から避難目標地点まで、実際に歩いて時間を測る。到達時間より短ければ合格
地名は入口です。徳島の「島」は海抜1m、「浦」には13分で津波が来て、「歩危」は崖。答えは町名ではなく、自分の家の地点と、そこから高台までの分数にあります。
この記事の集計条件
標高は国土地理院の地理院タイル「数値標高モデル(DEM5A・5mメッシュ)」を緯度経度で切り出して色別標高図と陰影を作り、淡色地図を重ねました(眉山山頂付近など5mメッシュが無い部分は10mメッシュで補いました)。丸印の数値は各地点の地表の標高(東京湾平均海面からの高さ)で建物は含みません。字別の集計は、国土数値情報「地価公示」2026年のうち用途が住宅の徳島県の標準地101地点の住所と、国土地理院の標高APIで取得した標高によります(全国17,612地点の取得は2026年8月20日)。字の集計は市町村名を除いた町名・字名で行いました。治水地形分類図は地理院タイル「治水地形分類図 更新版」、津波浸水想定と土砂災害警戒区域はハザードマップポータルサイト「重ねるハザードマップ」の配信タイル(作図時点の掲載内容)です。
地名の由来は徳島市公式サイト「とくしまヒストリー 第5回」、徳島新聞「【徳島の由来】蜂須賀氏が名付けた吉祥地名」(2021年5月10日)、徳島県観光サイト「大歩危小歩危」、徳島新聞「地名が伝えるリスク」(2017年4月17日)によります。ゼンリンの投稿とその経緯はENCOUNT(エンカウント)2023年3月8日の記事、知恵袋の質問は2011年9月2日の投稿です。吉野川の水害の数値は国土交通省四国地方整備局「吉野川水系河川整備計画(変更原案)」、四国災害アーカイブス(『吉野川事典』1999年)、四国社会資本アーカイブス「善入寺島の遊水地化」によります。津波の到達時間と最高津波水位は徳島県「津波浸水想定の公表」(2025年9月12日)の資料2・資料3、碑の記述は徳島県「レキシルとくしま」と気象庁徳島地方気象台「南海地震の碑」、土砂災害警戒区域の数は徳島県「土砂災害警戒区域等の指定状況(令和8年3月31日現在)」によります。
写真はウィキメディア・コモンズ(Wikimedia Commons)の素材と国土地理院の空中写真を、それぞれのライセンスに従って使用しています。アイキャッチの写真は眉山から見た徳島市街(新幹線(投稿者名)・クリエイティブ・コモンズ 表示-継承 4.0)です。
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