実は地名にヒントがあります。ただし青森では、いちばん有名な地名がいちばん外れます。「青森」は海ではなく、海から見えた小高い丘の名前でした。その丘の名を持つ街の住宅地を1地点ずつ測ると、青森市の標準地48地点は標高の中央値が4.3m、いちばん低い港町2丁目は海抜0.3m。県内で5m未満の38地点のうち27地点が青森市です。太平洋側の八戸市は逆で、33地点の中央値は20.0m。5m未満は高州2丁目2.8m、下長2丁目3.5m、新湊(しんみなと)1丁目3.9m、江陽1丁目4.1m、小中野(こなかの)2丁目4.3mの5地点だけ。その5つを津波浸水想定に重ねると、5地点とも色の中にありました。新湊1丁目は10〜20mです。
この記事でわかること
- ✓ 青森市の標準地48地点は標高の中央値4.3m、最低が港町2丁目の0.3m。県内で5m未満の38地点のうち27地点が青森市で、弘前市の29地点は最低でも23.2m
- ✓ 八戸市33地点の中央値は20.0m。5m未満は5地点だけで、その5地点は5つとも津波浸水想定の中。新湊1丁目は10〜20m、13.8mの類家(るいけ)1丁目で色が消える
- ✓ 自然災害伝承碑は青森県27基。同じ三陸の岩手163基・宮城89基と桁が違い、種別は地震13・洪水11・津波9・土砂災害8
「青森」は丘の名前なのに、街は海抜0.3m

図の濃い青が、陸奥湾のいちばん奥、青森湾に面した市街地です。住宅地の標準地を低い順に並べると、港町2丁目0.3m、合浦(がっぽ)1丁目1.0m、大字西田沢字浜田1.2m、篠田1丁目1.6m、造道(つくりみち)2丁目1.9m、勝田2丁目2.0m、沖館(おきだて)4丁目2.3m、長島3丁目2.8m。48地点のうち27地点が5m未満で、いちばん高い大字安田字近野でも40.5mです。
では、その名前はどこから来たのか。青森市の公式サイトは「かつての沿岸部に浜松が覆われた小高い丘があり、そこが古くから『青森』と呼ばれていた」と書いています。青森市民図書館歴史資料室の工藤大輔室長も2016年2月1日の陸奥新報で、蜆貝川(しじみがいがわ)の河口部を核とした辺りに「青森」と呼ばれた小高い丘があった、というのが本来の地名伝承だとしています。
工藤室長は同じ記事で、「善知鳥村(うとうむら)を改称して青森になった」という広く知られた説を誤解とし、その起点を1909年刊『青森市沿革史』に置いています。名づけた年も割れていて、県は1624年、市は寛永2年(1625年)。由来の決着はここでは付けません。使うのは、名前が高い場所を指していたという一点だけです。

県内で並べると、落差がはっきりします。
| 市町村 | 標準地 | 標高の中央値 | 最低 | 最高 |
|---|---|---|---|---|
| 青森市 | 48 | 4.3m | 0.3m | 40.5m |
| 八戸市 | 33 | 20.0m | 2.8m | 76.3m |
| 弘前市 | 29 | 32.5m | 23.2m | 91.9m |
| 鰺ヶ沢(あじがさわ)町 | 2 | 4.8m | 3.8m | 5.7m |
| 青森県全体 | 173 | 18.4m | 0.3m | 102.8m |
弘前市の29地点は、いちばん低くても23.2m。5m未満は1つもありません。県内の5m未満38地点は青森市27・八戸市5・外ヶ浜町2・むつ市2・鰺ヶ沢町1・東北町1で、7割が青森市に集まっています。同じ県でも、開く地図は市で入れ替わります。
読者
知恵袋に2015年1月、こんな質問が出ていました。「青森県には、八戸市、五所川原市、十和田市、三沢市、六ヶ所村、七戸町、六戸町、三戸町、五戸町など漢数字が入った市町村が多いと感じました。」この数字は災害と関係がありますか。
関係ありません。青森県庁の「青森県史の質問箱」は、平安時代後期に糠部(ぬかのぶ)郡が置かれ、「さらにそのなかを9つの地区に分けたときに、一戸から九戸の地名が付けられました」と説明しています。標高でも階上(はしかみ)町の2地点は27.0mと102.8m、五戸町は79.5mと81.2m。地名が災害を指さないこともあります。
標高は国土地理院の数値標高モデル(DEM5A・5mメッシュ)に基づく地表の高さで、建物は含みません。地点の標高は国土地理院の標高APIの値で、図の丸印の数値と小数点以下で食い違うことがあります。
住まいのリスクに対する備え
土地の履歴やリスクを知ったら、次は「起きたときにどうするか」です。最低限そろえておくと動けるものを挙げます。
一から集めると抜けが出ます。まずセットで用意して、家族の人数分と常備薬だけ足すのが早いです。
断水で最初に困るのがトイレです。備蓄で見落とされやすい一方、代用が効きません。
停電時は懐中電灯より、部屋全体を照らせるランタンの方が使えます。電池でも充電でも点くものだと、どちらが尽きても止まりません。
鍵につけて持ち歩けるサイズ。停電や夜道、内見での床下確認にも使えます。備えは「持ち歩けるかどうか」で使用率が変わります。
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青森湾ぞいは3〜5mの想定
青森県は2021年5月27日、津波防災地域づくりに関する法律第8条第6項に基づく津波浸水想定を公表しました。対象は深浦町から階上町まで25市町村です。この最大クラスの想定を、青森市の低い地点に1つずつ重ねました。

| 青森市の地点 | 標高 | 津波浸水想定(最大クラス) |
|---|---|---|
| 港町2丁目 | 0.3m | 3〜5m |
| 合浦1丁目 | 1.0m | 3〜5m |
| 篠田1丁目 | 1.6m | 3〜5m(一部 0.5〜3m) |
| 造道2丁目 | 1.9m | 3〜5m |
| 沖館4丁目 | 2.3m | 0.5〜3m |
海ぞいの4地点はそろって3〜5mの区分でした。海抜0.3mの土地に、海面から3mから5mの高さまで水が来る想定です。差し引くと、地面の上に立つ水は3mを超えます。
区分は標高の順にきれいには並びません。堤川ぞいの造道2丁目は1.9mで3〜5m、沖館川ぞいの沖館4丁目は2.3mで0.5〜3m。0.4mの差で1段変わります。篠田1丁目にいたっては、同じ町名の中で3〜5mと0.5〜3mが混ざっていました。市の津波ハザードマップも市内を11の地区に分けています。
読者
海抜0.3mというのは、市内でいちばん深く浸かる場所という意味ですか。
そうとは限りません。区分は「海面から何mの高さまで水が来るか」で描かれているので、地面が低いほど水は深くなりますが、どこまで届くかは川筋と土地の形で決まります。
津波浸水想定は、堤防や水門が地震で壊れる場合を含む最大クラスの想定です。川の洪水や、降った雨が下水から溢れる内水氾濫は別の図になります。読み方は浸水想定区域とは?ハザードマップの見方と注意点にまとめています。
八戸は5地点だけが低い。その5つが全部想定の中

八戸市の住宅地の標準地は33地点で、標高の中央値は20.0m。青森市の4.3mとは5倍近い開きがあります。低いのは高州2丁目2.8m、下長2丁目3.5m、新湊1丁目3.9m、江陽1丁目4.1m、小中野2丁目4.3mの5地点。そこから先は日計2丁目5.5m、田向5丁目5.9mと続き、類家1丁目13.8m、稲荷町16.4mへ一気に上がります。
河口と港のまわりだけが低い街です。その5つを津波浸水想定に重ねました。

| 八戸市の地点 | 標高 | 津波浸水想定(最大クラス) |
|---|---|---|
| 高州2丁目 | 2.8m | 5〜10m |
| 下長2丁目 | 3.5m | 5〜10m |
| 新湊1丁目 | 3.9m | 10〜20m |
| 江陽1丁目 | 4.1m | 5〜10m |
| 小中野2丁目 | 4.3m | 5〜10m |
| 類家1丁目 | 13.8m | 色なし |
5地点は5つとも想定の中にありました。新湊1丁目だけが1段濃い10〜20mです。標高3.9mの住宅地に、海面から10mから20mの高さまで水が来る想定になります。13.8mの類家1丁目まで上がると、色は消えます。
八戸市の津波ハザードマップ(大津波警報発表時)の対象地区名には、下長・江陽・小中野が並びます。高州と新湊はその一覧に出てきませんが、配信タイルを地点で読むと色がついていました。地区名の一覧に町名が無いことは、色が無いことと同じではありません。
高さの数字は種類を分けて読みます。内閣府が2022年3月22日に公表した日本海溝・千島海溝沿いの巨大地震のモデルは、八戸市の津波高を27mとしています。これは海岸に来る津波の高さで、図の色は陸に乗った水の深さです。

八戸の海は、いまも揺れています。2026年4月20日16時52分、三陸沖でマグニチュード7.7の地震が起き、青森県階上町の道仏で震度5強、八戸市内丸などで震度5弱。津波は八戸港で0.4mでした。総務省消防庁の4月28日17時現在のまとめでは負傷者10人です。
読者
八戸は台地の街だと分かって、少し安心しました。中心部に住むなら大丈夫ということですか。
その5地点は郊外ではありません。1m²あたりの価格は下長2丁目48,800円、小中野2丁目45,800円、江陽1丁目45,500円、高州2丁目44,000円、新湊1丁目28,000円。安いから低いのではなく、港のまわりの街がそのまま低い所にあります。
津軽の「沢」は低さの印ではなく水の筋の印
住所に「沢」が入る標準地は、青森県内に14地点あります。標高の中央値は33.5m、平均38.1m。高いほうは大鰐町の大鰐夏沢96.9m、弘前市の小沢広野91.9m。5m未満は4地点だけで、青森市の大字西田沢字浜田1.2m、外ヶ浜町の蟹田田ノ沢2.1m、青森市の大字三内字沢部4.6m、むつ市の大畑町兎沢4.7mです。同じ字の中で95.7m開いています。
「沢」は低い土地の印ではなく、水が通る筋の印です。水の筋は、低い所にも高い所にも同じように付きます。それを最短で説明してくれるのが、国土地理院が地図に載せている自然災害伝承碑です。
弘前市の百沢字寺沢には、同じ災害の碑が3基あります。国土地理院のデータは1975年8月6日をこう記します。「岩木山山頂付近で崩壊が発生し、土石流となって蔵助沢を流下して百沢地区を襲った。この災害での死者は22名、住家22棟が全壊(焼)流失した。」山頂で崩れた土砂が、蔵助沢という名の沢を通って集落まで届いた。沢が水の筋だという意味は、この一文に入っています。
鰺ヶ沢町一ツ森町字崩ヶ沢には「大然部落遭難者追悼碑」があります。「昭和20年(1945)3月22日深夜、前日からの長雨により山岳急斜面の雪土が崩落し、赤石川上流の流れを塞ぎ止めた天然ダムが豪雨により決壊し大きな雪泥流となって旧赤石村の大然集落に押し寄せ、死者88名生存者わずか16名の大惨事となった。」立っている場所の字が「崩ヶ沢」です。

その赤石川は、2026年9月3日から4日の大雨でも氾濫しました。山側は8.8kmで274m下るのに、平地は1.9kmしかありません(鰺ヶ沢町はなぜまた冠水したのか)。地元の人は「川の工事もしてくれていたので、まさかまた」と話しています。同じ大雨で青森市でも川が氾濫しました(【青森大雨】青森市で川が氾濫、五所川原市も警戒レベル5)。
高い土地でも同じです。県内で高い部類の標準地(61.2mと96.9m)を持つ大鰐町にも、1935年の水害で23人が亡くなったことを伝える「水害記念碑」が立っています。
津軽平野の水は、最後に十三湖(じゅうさんこ)へ出ます。五所川原市の公式サイトは「南北7キロメートル、東西5キロメートル、周囲31.4キロメートルと青森県で3番目に大きな湖で、十三の河川が流れ込むので十三湖と言われています」と説明しています。

碑は27基。同じ三陸でも岩手の163基とはまるで違う
国土地理院は、過去の災害を伝える石碑を「自然災害伝承碑」として地図に載せています。2026年8月27日現在で全国2,469基。青森県は27基です。同じ三陸に面した岩手県は163基で全国最多、宮城県は89基。青森はその6分の1と3分の1にあたります。
27基に付く種別は地震13・洪水11・津波9・土砂災害8・その他1(1基に複数付きます)。市町村別は弘前市6、五所川原市4、三沢市3、階上町3で、八戸市は1基、青森市は0基。十勝沖地震(1968年)の4基は津波ではなく土砂を伝えていて、五戸町の慰霊碑は「土砂災害により11名の命が奪われた」と刻んでいます。
階上町では、同じ場所に78年ぶんの碑が並びます。大字道仏字大蛇の小学校の敷地に、1933年建立の「海嘯記念碑」と2011年の「東日本大震災記念碑」が並んで立っています。古いほうは昭和三陸地震を「階上では死者行方不明者3名、流失家屋199戸」と記し、新しいほうは「ほら逃げろ津波の時は線路まで」と刻んだうえで、「階上町では10mを超える津波が襲い」、それでも「死者、行方不明者はいなかった」と書いています。
日本海側にも津波の碑があります。五所川原市十三北口、十三湖の水戸口の北突堤脇に立つ「津波之塔」です。1983年5月26日11時59分に起きたマグニチュード7.7の日本海中部地震について、碑はこう伝えます。「突如襲った大津波は、十三湖河口で釣りをしていた6人の尊い命を一瞬で飲み込み惨事の湖となった。」
読者
碑が27基しかないなら、青森は災害が少なかったということですか。
碑の数は災害の数ではありません。碑は、建てた人がいて、残った土地があって、記録として登録された分だけ地図に載ります。青森の27基は洪水11・土砂災害8で、津波9より内陸の碑のほうが多い。碑が語るのは危なさの順位ではなく、その土地で起きた災害の種類です。
私は、碑の数を県どうしで比べて「青森は安全だ」と読むのは危ないと考えています。根拠は3つ。分布が偏っていて八戸市は1基、青森市は0基。津波浸水想定は、碑の無い青森市の海ぞいにも3〜5mでかかっている。色がいちばん濃かった新湊1丁目にも碑はありません。碑は「そこで起きた」証拠にはなりますが、「起きていない場所は安全だ」の証拠にはなりません。
地名も碑も、入口です。青森では「青森」が高い場所を指し、「戸」は災害を指さず、「沢」は96.9mの山にも1.2mの海ぞいにも付きました。決まるのは地点です。
自分の町でどうするか(無料)
- 国土地理院の「地理院地図」で住所を入れ、「自分で作る色別標高図」を重ねる。青森市なら海ぞいの青い帯の中か外か、八戸市なら河口の青か台地の茶色かを見る
- 同じ地理院地図で「自然災害伝承碑」を表示する。青森県は27基。記号を選ぶと碑名・建立年・伝承内容が読める。近所に無いことは、色が無いことではありません
- 「重ねるハザードマップ」で津波・洪水・土砂を1枚ずつ重ねる。青森市と八戸市は津波、津軽平野は洪水と土砂が主役です
- 家から避難場所まで実際に歩いて、時間を測る。標高が高くても、そこまで届かなければ数字は効きません
この連載では、梅田・渋谷・亀戸・真備、横浜の「谷」と「島」、徳島の「島」と「浦」と測ってきました。徳島は「島」が海抜1m、「浦」に13分で津波が来る県でした。青森は反対です。
「青森」は丘の名前でした。その名を持つ街の海ぞいは海抜0.3mで、津波の想定は3〜5m。八戸で低い5地点は5つとも想定の中にあり、新湊1丁目は10〜20mでした。答えは町名ではなく、自分の家の地点と、そこで開く2枚目の地図にあります。
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この記事の集計条件
標高は国土地理院の地理院タイル「数値標高モデル(DEM5A・5mメッシュ)」を緯度経度で切り出して色別標高図と陰影を作り、淡色地図を重ねました。丸印の数値は各地点の地表の標高(東京湾平均海面からの高さ)で、建物は含みません。地点別・字別の集計は、国土数値情報「地価公示」2026年のうち用途が住宅の青森県の標準地173地点の住所・価格と、国土地理院の標高APIで取得した標高によります(全国17,612地点の取得は2026年8月20日)。字の集計は市区町村名を除いた町名・字名で行い、「沢」は14地点でした。
津波浸水想定の区分は、ハザードマップポータルサイト「重ねるハザードマップ」の配信タイルを、地点の緯度経度からズーム16のピクセルに変換して1点ずつ色を読み取った結果です(2026年9月6日時点の配信内容)。もとは青森県が2021年5月27日に公表した津波浸水想定(対象25市町村)で、津波災害警戒区域は2023年3月10日に同一範囲で指定されています。地区名は八戸市「津波ハザードマップ(大津波警報発表時)」と青森市「青森市津波ハザードマップ」、津波高27mは内閣府「日本海溝・千島海溝沿いの巨大地震」(2022年3月22日公表)です。
自然災害伝承碑の基数・種別・市町村別の内訳と碑文の要旨は、国土地理院の自然災害伝承碑データ(2026年8月27日現在・全国2,469基/取得元 https://www.gsi.go.jp/common/000250768.zip )によります。本文で「碑が伝えている」として引いた被害の数は、すべて同データの伝承内容の記述です。地名の由来は青森市「青森市の歴史」、陸奥新報「『青森』地名伝承の誤解=41」(2016年2月1日・筆者 工藤大輔)、青森県庁「青森県史の質問箱 01」、五所川原市「十三湖」、読者の声は知恵袋2015年1月12日の質問、2026年4月20日の地震は気象庁の報道発表と総務省消防庁のまとめ(4月28日17時現在)によります。写真はウィキメディア・コモンズの素材を各ライセンスに従って使用し、アイキャッチは堤川の河口から見た青森湾(撮影 Mccunicano(マックニカーノ・投稿者名)・クリエイティブ・コモンズ 表示-継承 4.0(CC BY-SA 4.0))です。
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