実は地名にヒントがあります。ただし新潟では、「潟」の字がヒントになりません。2026年の地価公示で新潟県に置かれた住宅地の標準地299地点を1点ずつ測ると、地表が海面より低い地点は13か所ありました。全部が新潟市で、西区6・中央区4・江南区2・東区1。町名は寺尾東、小針、東青山、新和、小新西、曽野木、亀田中島、東入船、中大畑、網川原、粟山、寺地です。どれにも「潟」は付いていません。逆に住所に「潟」が入る標準地は県内に4地点しかなく、いちばん低い上越市大潟区土底浜でも11.6m。新潟で地名から土地の高さを当てにいくと、答えが裏返ります。
この記事でわかること
- ✓ 海面より低い住宅地の標準地は県内13地点で、全部が新潟市。最低は西区の寺尾東3丁目で−1.5m。住所に「潟」が入る4地点は、いちばん低くて11.6m
- ✓ 同じ「寺尾」でも寺尾東3丁目−1.5mと寺尾台2丁目25.3mで26.8mの差。直線で約1.4km。分けているのは細長い砂丘
- ✓ 新潟県の自然災害伝承碑66基のうち津波は2基だけ。洪水31・土砂23。新潟市で開くのは津波ではなく、洪水と内水の地図
新潟市で海抜がマイナスの住宅地13か所 「潟」ではなく「寺尾」「小針」が低い

新潟県の住宅地の標準地299地点は、標高の中央値が9.9mで、5m未満が94地点。新潟市に絞ると数字が落ちます。中央区22地点の中央値は0.4m、東区13地点は0.9m、江南区13地点は1.4m、西区25地点は3.6m。そして、海面より低い地点が13あります。すべて新潟市内です。
| 地点 | 標高 | 1m²あたり |
|---|---|---|
| 西区 寺尾東3丁目 | −1.5m | 70,600円 |
| 西区 小針6丁目 | −1.2m | 90,000円 |
| 西区 東青山1丁目 | −0.7m | 120,000円 |
| 中央区 新和4丁目 | −0.6m | 126,000円 |
| 西区 小新西1丁目 | −0.6m | 54,400円 |
| 江南区 曽野木2丁目 | −0.5m | 55,400円 |
| 江南区 亀田中島1丁目 | −0.5m | 55,600円 |
| 中央区 東入船町 | −0.4m | 71,400円 |
| 西区 小針1丁目 | −0.4m | 94,800円 |
| 中央区 中大畑町 | −0.3m | 166,000円 |
| 中央区 網川原1丁目 | −0.3m | 110,000円 |
| 東区 粟山2丁目 | −0.1m | 81,000円 |
| 西区 寺地字大仙坊 | −0.1m | 65,700円 |
値段がいちばん高いのは中央区の中大畑町で1m²あたり166,000円、いちばん安いのは西区の小新西1丁目で54,400円。どちらも海面より低い土地なのに3倍ちがいます。海抜は値段を決めていません。海面より低い住宅地は全国で190地点あり、東京71・愛知56・大阪28に次いで新潟の13が4番目です。
では「潟」はどこにあるのか。住所に「潟」が入る標準地は、県内に4地点だけです。長岡市蓮潟5丁目が20.9m、上越市大潟区潟町字裏新田が28.8m、上越市大潟区土底浜字浜橋道西が11.6m、佐渡市新穂潟上が24.1m。4地点とも10mを超え、13か所のマイナス地点より12m以上高い。「潟」は水があった場所の字ですが、標準地が置かれているのは潟のふちの高い所でした。
字ごとに数えると、逆転がはっきりします。
| 字 | 地点数 | 標高の中央値 | 5m未満の地点 |
|---|---|---|---|
| 小 | 11 | 4.2m | 7 |
| 海 | 3 | 4.6m | 2 |
| 津 | 7 | 5.8m | 3 |
| 山 | 29 | 6.8m | 11 |
| 島 | 16 | 9.2m | 6 |
| 新 | 32 | 11.8m | 11 |
| 新田 | 10 | 21.9m | 1 |
| 県全体 | 299 | 9.9m | 94 |
「山」の付く29地点は中央値6.8mで、11地点が5m未満です。新潟市の「潟のデジタル博物館」は「新潟砂丘は角田山麓から村上市瀬波まで約70キロメートルに及び、多いところでは10列からなり」と書いています。細長い砂の丘が何列も並び、その尾根の上にも、丘と丘のあいだの低地にも「山」や「台」の字が付きました。
上下に割れているのが西区の寺尾です。県内でいちばん低い標準地は寺尾東3丁目の−1.5m。同じ寺尾の名を持つ寺尾台2丁目は25.3mで、直線距離は約1.4km。歩いて20分ほどのあいだに、26.8m上がります。
読者
2018年3月、Yahoo!知恵袋の不動産カテゴリにこんな質問が出ていました。「海抜が0mということと女池という池が付く地名と言うこともあり。やめた方がいいというかたもいます。実際災害があったらやはり良くない土地なのでしょうか?」
女池はたしかに低い町でした。中央区の女池神明1丁目の標準地は0.2mです。ただし「池」の字が当たったわけではありません。同じ中央区で「池」の付かない新和4丁目は−0.6m、網川原1丁目と中大畑町は−0.3mで、女池より低い。字が当たって見えるのは、新潟市の中心部がもともと全部低いからです。
この連載では、梅田・渋谷・亀戸・真備、横浜の「谷」と「島」、徳島の「島」と「浦」と測ってきました。横浜は「谷」が低地の印にならない、という形の逆転でした。新潟はもう一段強く、「山」が中央値6.8m、「潟」がいちばん低くて11.6m。字の意味が反対を向いています。
標高は国土地理院の数値標高モデル(5mメッシュ)に基づく地表の高さで、建物は含みません。なお「新潟」の由来に定説はありません。新潟市立中央図書館はレファレンス協同データベースで、「河川の入り江が大きく潟のようであったことが『新潟』という地名の由来という記述があった」としつつ、「著者の推論の域を出ないと思われる」と回答しています。
住まいのリスクに対する備え
土地の履歴やリスクを知ったら、次は「起きたときにどうするか」です。最低限そろえておくと動けるものを挙げます。
一から集めると抜けが出ます。まずセットで用意して、家族の人数分と常備薬だけ足すのが早いです。
断水で最初に困るのがトイレです。備蓄で見落とされやすい一方、代用が効きません。
停電時は懐中電灯より、部屋全体を照らせるランタンの方が使えます。電池でも充電でも点くものだと、どちらが尽きても止まりません。
鍵につけて持ち歩けるサイズ。停電や夜道、内見での床下確認にも使えます。備えは「持ち歩けるかどうか」で使用率が変わります。
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見る地図は津波ではなく洪水 新潟県の伝承碑66基のうち津波は2基
国土地理院は、過去の災害を伝える石碑を「自然災害伝承碑」として地図に載せています。2026年8月27日現在で全国2,469基。新潟県は66基で、内訳は洪水31・土砂災害23・地震13・その他11・津波2・高潮1です。海に面した県で、津波の碑は2基だけ。しかもどちらも1964年の新潟地震のものです。市町村別では糸魚川市の16基が最多で、次が新潟市の12基。糸魚川に並ぶのは雪崩と地すべりの碑で、同じ県の中でも開く地図が入れ替わります。新潟市で開くのは、洪水と内水の地図です。

図で目に付くのは、海ぞいを斜めに走る白い帯です。ここが新潟砂丘で、標高25.3mの寺尾台2丁目はこの帯の中にあります。帯の内側はほぼ全部が0.5〜3mの色に覆われ、−1.5mの寺尾東3丁目にも、0.2mの女池神明1丁目にも色がついています。
そのうえで、区分は海抜の順番どおりには並びません。配信されているタイルの色を地点ごとに読み取ると、−1.5mの寺尾東3丁目と0.2mの女池神明1丁目はどちらも0.5〜3m、−0.5mの亀田中島1丁目も0.5〜3m。ところが−0.3mの中大畑町は1つ下の0.5m未満で、25.3mの寺尾台2丁目は区域の外です。海面より低い地点どうしでも区分が違います。町名でも海抜の数字でもなく、その地点で地図を開かないと答えは出ません。
洪水浸水想定区域は、川が氾濫したときに浸かると想定される範囲です。想定の対象になっていない川や、降った雨が下水から溢れる内水氾濫は入りません。読み方は浸水想定区域とは?ハザードマップの見方と注意点にまとめています。
図の色は将来の想定ですが、実際に水が来た記録も同じ町に残っています。自然災害伝承碑には、新潟市西区の4か所に「水位標」が登録されています。1998年8月4日の水害の水位を、赤い線で示したものです。碑文の要旨によれば赤線の高さは小針二丁目が0.48m、坂井東二丁目が0.54m、寺尾前通一丁目が0.65m、寺尾東二丁目が0.73m。この日、新潟市では市内ほぼ全域で道路が冠水し、床上浸水1,941戸、床下浸水10,534戸の被害が出ました。
標準地でいちばん低い寺尾東3丁目、小針6丁目、小針1丁目。その町名が、そのまま水位標の立つ町名と重なります。川が切れたのではなく、降った雨が抜けなかった水害でした。
川が切れたほうの記録もあります。燕市小池の「横田破堤記念碑」の碑文要旨は、1896年(明治29年)7月22日の横田切れについて「この大水害による死者は43名、浸水家屋は6万621戸に及び、3か月にわたり浸水したところもあった」と記録しています。横田地区では堤防が約360mにわたって決壊し、死者3名、流失家屋50戸余り(破堤の幅は資料で違い、国土交通省信濃川河川事務所は約250mとしています)。
燕市が大河津分水(おおこうづぶんすい)の通水100周年で公開している解説は、「数カ月たっても水は引かず、チフスや赤痢などの伝染病で1,200人以上の人々が命を落とします」と書いています。破堤で流された人と、水が引かないあいだに病気で亡くなった人が、別に数えられているということです。水は新潟市西区まで届き、西区槇尾の宝光院には「横田切れ水位標」が残っています。

読者
海面より低くても、洪水の図の区分が浅い場所があるんですよね。そこなら安心と考えていいですか。
洪水の図は、川が氾濫したときの想定です。1998年のように降った雨が抜けないタイプの浸水は、内水の図で別に見ます。新潟市では洪水・内水・津波・土砂が別々の図になっていて、1枚が浅いから安全という読み方はできません。住所を1つ入れれば、4種類まとめて出せます。
亀田郷は「地図にない湖」と呼ばれた 「島」の付く亀田中島は−0.5m

信濃川と阿賀野川に挟まれた新潟市の東側に、亀田郷(かめだごう)と呼ばれる一帯があります。新潟市江南区の公式サイトは「古くは横越島といわれ、大正時代から亀田郷と呼ばれるようになりました」と書いています。標準地でみると、江南区の亀田中島1丁目は−0.5m、曽野木2丁目も−0.5m、東区の粟山2丁目は−0.1m、中央区の弁天橋通2丁目はちょうど0.0m。「島」の付く標準地は県内に16地点あって中央値は9.4mですが、海面より低いのは亀田中島の1地点だけです。
江南区の同じページには、こう書かれています。「水田は湖と見まごうばかりで『芦沼』と呼ばれ、腰まで水に浸かっての田植え、田舟を押しての稲刈りなどの過酷な農作業の連続でした」。そして「亀田郷は河川に囲まれ、海面より低いゼロメートル地帯がその土地の2/3を占めています」。
農業農村整備情報総合センターの「水土の礎」は、この土地の話をこう書き出しています。「上越線に乗って新潟へ来ると、新潟へ着く直前に巨大な湖が現れる。しかし、どう探しても地図には載っていない。」湖の大きさは東西11キロ、南北10キロ、約1万ヘクタール。農民は川底の土を舟で運び、農地に撒いて土地を高くし続けたとあります。ただし「地図にない湖」と最初に言ったのが誰かは、はっきりしません。新潟市の資料も水土の礎も「〜と呼ばれた」という受け身で、名前を挙げていないからです。

その湖の名残が鳥屋野潟(とやのがた)です。新潟市の「潟のデジタル博物館」は水面の標高を海抜マイナス2.5m、面積を約158haとし、「鳥屋野潟の水面は海抜マイナス2・5メートルと新潟市で最も低い土地」と書いています。−0.5mの亀田中島1丁目は、この水面より2m高いだけの土地です。

この土地から水を出しているのはポンプです。江南区は「昭和24(1949)年に当時東洋一とうたわれた規模の栗ノ木排水機場(東区)が完成」と書き、同じ新潟市の「潟のデジタル博物館」は昭和23年に運転を開始したと書いています。市の資料の中でも年が1年ずれます。鳥屋野潟の水は、1968年に運転を始めた親松排水機場から信濃川へ送り出しています。

ポンプが入る前、この一帯は水が出るたびに沈みました。自然災害伝承碑には、江南区楚川に「曽川切れ記念碑」があります。碑文の要旨は「大正6年(1917)10月2日、連日の大雨により曽川の堤防二百mが決壊し、鳥屋野潟周辺、一市一町五個村の亀田郷一帯を修羅場と化した。浸水家屋数千戸、収穫を目前に冠水した田畑三千余ヘクタール」。
読者
さっきの知恵袋の質問には、こんな回答が付いていました。「土地改良施設の排水機場で、水路の水をポンプアップして排水してます。なので、海抜0m地帯で大雨でも浸水することはなくなっています」。これで解決ですか。
回答の前半は事実です。亀田郷の水はポンプで出しています。ただ、この土地には、そのポンプが動かなくなった日の記録が残っています。1964年6月16日です。
1964年6月16日、川岸町の県営アパートが傾いた

1964年(昭和39年)6月16日13時1分、新潟県下越沖でマグニチュード7.5の地震が起きました。気象庁新潟地方気象台の記録では震源の深さ34km、新潟市の最大震度5、被害は9県に及び、死者26人・住家全壊1,960・半壊6,640・浸水15,297。国土交通省北陸地方整備局の資料は死者13人・全壊1,448棟・床上浸水9,446棟としていて、集計の範囲が資料で違います。
北陸地方整備局は「新潟市川岸町に建っていた鉄筋コンクリート4階建ての県営アパートは、建物自体は無傷のまま傾斜し、転倒した」と書いています。壊れたのは建物ではなく地面でした。同じ資料は「細かな砂を含んだ泥水が噴出する液状化現象が広範囲で発生」し、当時「ゼロメートル地帯が年々拡がっていた」とも書いています。

揺れたあと、水が来ました。北陸地方整備局は「地震の揺れと液状化で被災した信濃川下流堤防は、その後襲ってきた津波に耐えられず」と書いています。新潟県の伝承碑で「津波」の種別が付く2基は、どちらもこの地震のものです。港では昭和石油の製油所で火災が起き、貯蔵タンク97基と周辺の民家300戸余りが延焼しました。
その2基のうち1基が、東区の新潟市立桃山小学校に建つ「桃山の碑」です。碑文の要旨はこうです。「新潟地震では26名が亡くなり、津波と液状化で広く浸水し港では火災が発生した。この混乱の中で桃山小学校教職員は1,388人の子どもたちを連れて避難し、一部の児童を二日一夜、三日二夜守り続けた。」海面より低い土地で水が引かないというのは、こういう時間の長さのことです。
なぜここまで低いのか。自然の低さだけではありません。環境省の「新潟県 新潟平野 地盤環境情報 令和6年度」によると、新潟平野の累積沈下量の最大値は約289cm。昭和32年の観測開始から令和6年までの合計で、場所は新潟市西区寺尾上です。年間沈下量の最大値は昭和34〜35年の53.7cmで、これも寺尾上。環境省は「沈下の主原因は地下水の急激な大量揚水である」と書いています。
寺尾上は、県内でいちばん低い標準地がある寺尾東のとなりです。1年で53.7cm、通算で2.89m。−1.5mという数字のかなりの部分は、この60年ほどのあいだに人が作ったことになります。
環境省は同じページで、新潟市周辺のゼロメートル地帯の面積を約183km²としています。新潟応用地質研究会誌に載った関谷一義・島秀行の集計では、1990年時点で濃尾平野286km²、佐賀平野207km²、越後平野183km²、関東平野124km²。越後平野は「日本最大」ではなく、3番目です。
液状化は、もう一度起きています。2024年1月1日の能登半島地震で被害が集中したのが新潟市西区でした。新潟日報は2024年6月30日に「液状化被害大きい新潟市西区で人口減少拡大、2023年12月からわずか5カ月で寺尾上3が9・3%、善久が8・7%」と報じ、寺尾上3の人口が669人から607人へ減ったと書いています。地面が289cm沈んだ町の名前が、60年後の見出しにもう一度出てきます。
私は、新潟の土地を「危ない地名」の一覧で読むのは無理があると考えています。根拠は3つです。住所に「潟」が入る標準地は4地点しかなく、いちばん低くて11.6m。海面より低い13地点の町名からは、低さが読み取れない。そして同じ「寺尾」で26.8m違う。地名は昔なにがあったかを教えてくれますが、自分の家の高さは教えてくれません。
自分の町で同じことをする手順(無料)
- 国土地理院の「地理院地図」で住所を入れ、「自分で作る色別標高図」を重ねる。新潟市なら、砂丘の帯の上か、帯の内側かをまず見る
- 同じ地理院地図で「自然災害伝承碑」を表示する。全国2,469基、新潟県は66基。近所に碑があれば、その土地で何が起きたかを碑文の要旨で読める
- 「重ねるハザードマップ」で洪水と内水を1枚ずつ重ねる。1枚が白くても、もう1枚で色がつくことがある
- 家から避難場所まで実際に歩いて時間を測る。海面より低い土地は水が自然には引かないので、いつ出るかが問題になる
地名は入口です。新潟では「潟」が高い所に残り、いちばん低い13か所には「潟」が付かず、同じ「寺尾」で26.8m違いました。答えは町名ではなく、自分の家の地点と、そこで開く2枚目の地図にあります。
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この記事の集計条件
標高は国土地理院の地理院タイル「数値標高モデル(DEM5A・5mメッシュ)」を切り出して色別標高図と陰影を作り、淡色地図を重ねました。丸印の数値は各地点の地表の標高(東京湾平均海面からの高さ)で、建物は含みません。地点別・字別の集計は、国土数値情報「地価公示」2026年のうち用途が住宅の新潟県の標準地299地点の住所・価格と、国土地理院の標高APIで取得した標高によります(全国17,612地点の取得は2026年8月20日)。字の集計は市区町村名を除いた町名・字名で行いました。洪水浸水想定の図は、国土地理院「重ねるハザードマップ」の配信タイル(想定最大規模・作図時点の掲載内容)です。
伝承碑の基数・種別・市町村別の内訳と碑文の要旨は、国土地理院の自然災害伝承碑データ(2026年8月27日現在・全国2,469基)によります。地名と土地の履歴は、新潟市「潟のデジタル博物館」、新潟市江南区「区の歴史」、レファレンス協同データベース(登録館:新潟市立中央図書館)、水土の礎(農業農村整備情報総合センター)「地図にない湖と“どぶね農業”」第一章と「芦沼略記―亀田郷・未来への礎」第五章によります。読者の声は、Yahoo!不動産「教えて!住まいの先生」(Yahoo!知恵袋)2018年3月4日の質問と、同3月19日の回答からの引用です。
1964年新潟地震の数値は気象庁新潟地方気象台「新潟県の地震(津波)災害」と国土交通省北陸地方整備局「防災・減災にいがたプロジェクト2024/1964年 新潟地震」、地盤沈下は環境省「新潟県 新潟平野 地盤環境情報 令和6年度」、ゼロメートル地帯の面積は関谷一義・島秀行「越後平野海岸部(新潟市周辺)のゼロメートル地帯の分布」(新潟応用地質研究会誌 第69巻・2007年12月)の1990年時点の集計、横田切れは国土交通省信濃川河川事務所「横田切れ」と燕市「大河津分水ができるまで」、2024年の人口は新潟日報2024年6月30日の記事によります。写真のライセンスは各キャプションのとおりで、アイキャッチは鳥屋野潟ごしに見た新潟市の中心部(新潟市・クリエイティブ・コモンズ 表示 2.1 日本)です。
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