実は地名にヒントがあります。ただし岩手では、地名を読むより先に、標高の数字が答えを出してしまいます。2026年の地価公示で岩手県に置かれた住宅地の標準地125地点を、1点ずつ国土地理院の標高で測りました。海抜5m未満は、たった2地点でした。宮古市磯鶏沖(そけいおき)の3.3mと、大槌町上町の3.3m。125地点の中央値は111.0mです。三陸の海に面した県なのに、値段のついた住宅地の半分は標高100mより上にあります。そしてこの県には、過去の災害を刻んだ石碑が163基あり、これは全国でいちばん多い数です。
この記事でわかること
- ✓ 住宅地の標準地125地点の中央値は111.0m。海抜5m未満は宮古市磯鶏沖と大槌町上町の2地点だけで、10m未満の10地点は10地点とも沿岸の市町村
- ✓ 国土地理院の自然災害伝承碑は全国2,469基のうち岩手が163基で最多。2位は長野110基、3位は兵庫103基と高知103基。種別は地震142・津波142・洪水18
- ✓ 宮古市重茂(おもえ)で碑の標高を測ると、姉吉(あねよし)の碑は52.6mで今の津波想定の外、里の碑は10.2mで想定5〜10mの中。同じ地区の7基が10.2mから142.5mまで散らばる
岩手の住宅地125か所で、海抜5m未満は2つだけ

図の濃い青が、閉伊川(へいがわ)の河口に広がる宮古市の中心部です。市内の住宅地の標準地は4地点あって、海ぞいの磯鶏沖が3.3m、駅の西側の西町が6.2m、山口3丁目が29.0m、丘の上の西ヶ丘3丁目が72.4m。同じ市の中で69.1mの差があります。
岩手県全体では、住宅地の標準地125地点の標高の中央値が111.0m。5m未満は磯鶏沖と大槌町上町の2地点で、どちらもちょうど3.3mです。10m未満まで広げても10地点しかなく、その10地点は10地点とも沿岸の市町村にありました。低いほうから、野田村第27地割5.6m、大槌町大槌第16地割5.7m、宮古市西町6.2m、久慈市西の沢第6地割6.4m、久慈市十八日町2丁目6.6m、野田村第21地割7.7m、久慈市畑田第26地割8.3m、釜石市中妻町2丁目8.8m。
沿岸12市町村に置かれた住宅地の標準地は合わせて24地点で、10m未満の10地点はすべてこの中に入ります。県内でいちばん高い標準地は遠野市東穀町の271.0m、次が岩手町沼宮内(ぬまくない)第10地割の261.0mでした。
読者
三陸の海沿いというと、今も海のすぐそばに家が並んでいる絵を思い浮かべていました。
値段のついた住宅地に限れば、そうではありません。県内125地点のうち海抜5m未満は2地点、10m未満でも10地点です。ただし「高い所にあるから安全」という話でもありません。標高3.3mの磯鶏沖にも、標高17.0mの陸前高田市高田町字西和野にも、県が公表した津波浸水想定の色がついています。色がつくかどうかは、標高の数字ではなく地点で決まります。
標高はすべて国土地理院の数値標高モデル(DEM5A・5mメッシュ)に基づく地表の高さで、建物は含みません。標準地の標高は国土地理院の標高APIの値で、図の丸印の数値と小数点以下で食い違うことがあります。
住まいのリスクに対する備え
土地の履歴やリスクを知ったら、次は「起きたときにどうするか」です。最低限そろえておくと動けるものを挙げます。
一から集めると抜けが出ます。まずセットで用意して、家族の人数分と常備薬だけ足すのが早いです。
断水で最初に困るのがトイレです。備蓄で見落とされやすい一方、代用が効きません。
停電時は懐中電灯より、部屋全体を照らせるランタンの方が使えます。電池でも充電でも点くものだと、どちらが尽きても止まりません。
鍵につけて持ち歩けるサイズ。停電や夜道、内見での床下確認にも使えます。備えは「持ち歩けるかどうか」で使用率が変わります。
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自然災害伝承碑は163基で全国最多 重茂の碑7基は10.2mから142.5mまで散らばる
国土地理院は、過去の災害を伝える石碑を「自然災害伝承碑」として地図に載せています。2026年8月27日現在で全国2,469基。いちばん多いのが岩手県の163基です。2位は長野県の110基、3位が兵庫県と高知県の103基で、同じ三陸の宮城県は89基。岩手だけが飛び抜けています。
碑に付く災害の種別(1基に複数付きます)は、地震142・津波142・洪水18・土砂災害1・その他1。市町村別では宮古市39、釜石市30、山田町21、陸前高田市17、久慈市11、一関市9、奥州市7、普代(ふだい)村6、大槌町5と続きます。災害名で数えると、昭和三陸地震(1933年3月3日)が53基、明治三陸地震(1896年6月15日)が52基、東日本大震災(2011年3月11日)が22基、カスリン台風とアイオン台風が7基です。

碑がどこに立っているのかを見るために、宮古市の重茂(おもえ)半島だけを取り出して、碑7基の標高を1基ずつ測りました。低いほうから、里の碑10.2m、鵜磯(ういそ)の碑21.7m、千鶏(ちけい)の碑34.5m、姉吉(あねよし)の碑52.6m、館の碑91.7m、上加村の碑100m、平和公園の碑142.5m。同じ地区の中で132.3mの開きがあります。
この7基のうち、今の津波浸水想定で色がついている場所に立っているのは2基だけです。里の碑と鵜磯の碑が5〜10mの区分の中で、残る5基は色のつかない場所か、想定区域の外にあります。

いちばん知られているのが姉吉の碑です。題字の下に、こう刻まれています。「高き住居は児孫の和楽、想へ惨禍の大津浪、此処より下に家を建てるな」。国土地理院の伝承碑データは、この碑の伝承内容を「重茂姉吉地区の生存者は明治三陸地震(1896)2人、昭和三陸地震(1933)4人、2度とも集落は全滅した。碑の教訓を守り、東日本大震災では家屋に被害はなかった」と記しています。碑の地点の標高は52.6m。県の最大クラスの津波浸水想定を重ねても、ここに色はつきません。
同じ重茂の、里地区の碑は10.2mです。国土地理院のデータは、明治三陸地震の記念碑であるこの碑について、「重茂里地区にある明治三陸地震津波の記念碑で、地区の家屋50戸全滅、死亡者250名の被害を伝える。東日本大震災の津波でも、この碑は浸水した」と書いています。そして今の想定でも、この碑の地点は5〜10mの区分の中にあります。
碑は、その場所で何が起きたかを教えてくれます。ただし、碑の立っている場所そのものが安全だとは限りません。姉吉の碑は52.6mで想定の外、里の碑は10.2mで想定の中。「碑がある町だから危ない」でも「碑があるから大丈夫」でもなく、1基ずつ高さが違います。私は、碑を見つけたら次に高さを測るところまでを1組にしないと、この県では読み違えると考えています。
重茂には、被害の数を刻んだ碑も残っています。上加村の碑(1915年建立・標高100m)は明治三陸地震について「村全体で流失家屋155戸、溺死者765名」と刻み、仲組の碑(2014年建立・標高92.6m)は2011年について「重茂地区に最大40.1mの津波が襲来し、戸数91戸、死者50名、漁船800隻の被害」と刻んでいます。99年離れた2基が、同じ地区の同じ規模の数を伝えています。
読者
碑のある場所まで逃げれば助かる、という読み方でいいですか。
碑は避難先の印ではありません。重茂の7基だけでも10.2mから142.5mまで開いています。碑が示しているのは「ここまで水が来た」「ここより下に建てるな」という過去の記録で、逃げる先は市町村が指定する避難場所で確かめてください。
田老の中心部4.8mに10〜20mの想定 陸前高田は17.0mの住宅地にも色がつく
宮古市の北にある田老(たろう)は、津波の碑がとくに多く残る町です。1934年に建てられた「大海嘯記念(津波記念碑)」は宮古市田老字館が森にあり、「大地震の後には津波が来る。ここで1時間我慢せ。高い所へにげろ。」と刻まれています。国土地理院のデータは、この碑が伝える昭和三陸地震での田老村の被害を「流失505戸、溺死者911名、負傷者122名」と記しています。

この碑の地点の標高は120.6mでした。一方、田老の中心部は4.8mです。図で街に乗っている色は10〜20mの区分で、標高4.8mの土地に、海面から10mから20mの高さまで水が来ると想定されています。碑と街の高さの差は115.8mです。
田老には、高さ10mの防潮堤がありました。宮古市の公式サイトは「総延長2,433メートル、高さ10メートルの長大な防潮堤」と説明したうえで、こう書いています。「2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災による津波は、この高さ10メートルの田老防潮堤を超え、田老の町を飲み込み、甚大な被害を及ぼしました。」

田老には明治三陸地震の碑も残っていますが、伝えている数字が碑によって違います。和野の公葬地にある「海嘯横死者之碑」について、国土地理院のデータは「旧田老村の被害、死者1,900人余り、流失家屋400余りの記録を銘記し」と書き、西向山の樫内公葬地にある「大海嘯紀念碑」については「樫内をふくむ旧田老村で、死者2,650人余り、流失家屋130戸(半壊不明)の被害が出た」と書いています。同じ村の同じ災害で、死者の数が750人違う。どちらが正しいかを決める材料はありません。私は、この食い違いはならさずに残すほうが碑の読み方として誠実だと考えています。数がそろわないほどの夜だった、という記録でもあるからです。
南に下って、陸前高田市の住宅地の標準地は3地点です。高田町字西和野17.0m、高田町字中田25.2m、高田町字鳴石51.4m。3地点とも海抜17mより上にあります。

津波浸水想定を重ねると、いちばん低い西和野17.0mには0.3〜0.5mの色がつきます。中田25.2mには色がなく、鳴石51.4mは想定区域の外です。海抜17mの住宅地が、まだ想定の中に残っている。標高だけでは線が引けない、ということです。
陸前高田市の伝承碑17基は、広田半島の広田町に集まっています。1934年に建てられた碑がいくつも残っていて、四角い石の各面に「地震があったら津波の用心」「それ津波機敏に高所へ」「低い所に住家を建てるな」「津波と聞いたら欲捨てて逃げろ」と刻まれています。90年前に置かれた4行が、今の浸水想定図とほぼ同じことを言っています。

「第◯地割」は災害の地名ではない 23地点の中央値は103.8m
岩手県の住所には、ほかの県で見かけない表記があります。「◯◯第◯地割」です。
読者
知恵袋に、2020年10月にこんな質問が投稿されていました。「岩手県民の方に質問です。住所登録の際〇地割〇番地は〇丁目〇番地と入力すればよろしいのでしょうか。地割とは丁目の事なのでしょうか。説明が分かりにくいかも知れないですがどうすればいいのか本当に分からないのでご回答の程宜しくお願いします。」
地割(ちわり)は丁目ではありません。岩手県立図書館がレファレンス協同データベースに残した回答は、地割を「検地番号の『い』『ろ』『は』に数字をあてて『第1地割』『第2地割』などとしたもの」と説明し、小字レベルの階層に属すると書いています。この質問に付いたベストアンサーも「丁目表記とは違います」と答えていました。
では、この「第◯地割」が付く住所は、災害と関係があるのか。住宅地の標準地125地点のうち「第◯地割」を含むのは23地点で、標高の中央値は103.8m。5m未満は0地点です。いちばん低いのが野田村第27地割の5.6m、いちばん高いのが岩手町沼宮内第10地割の261.0m。同じ表記の中で255.4m開いています。
地割は、災害を指す地名ではありません。検地の番号が住所に残ったもので、海辺にも山の上にも同じように付きます。「谷」や「沢」のように字の意味から地形を読む手が、岩手でいちばん目につく表記には効きません。
同じことは、碑の住所にも出ます。標高10.2mで東日本大震災の津波に浸かった里の碑の所在地は「宮古市重茂第3地割」。標高142.5mの平和公園の碑は「宮古市重茂第1地割」です。番号は1と3で隣り合っているのに、高さは132.3m違います。番号は土地の高さと関係なく振られているので、住所の見た目からは何も読めません。
地名でも、住所の番号でも決まらない。決まるのは地点です。だからこの県では、町名を調べるより先に地図を開くほうが早く着きます。
内陸で開くのは洪水の地図 一関の碑に「死者行方不明者573名」
岩手の伝承碑163基のうち、洪水は18基です。海ではなく、北上川ぞいの内陸に並びます。
一関市青葉に立つ「水害復興記念像」(1958年建立)は、こう伝えています。「昭和22年(1947)カスリン台風、翌23年(1948)アイオン台風の襲来により、北上川、磐井川が氾濫し堤防が決壊、一関地方は死者行方不明者573名、流失全壊家屋2753戸等大きな被害を受けた。」同じ573名は、一ノ関駅西口に立つ水位標にも刻まれています。奥州市水沢羽田町の碑は、このときの水位を「狐禅寺(こぜんじ)の北上川水位は標高27.46mに達した」と記録しています。

一関市の地点で、洪水浸水想定(想定最大規模)を1つずつ見ると次のようになります。
| 一関市の地点 | 標高 | 洪水浸水想定(想定最大規模) |
|---|---|---|
| 上坊(住宅地の標準地) | 24.0m | 5〜10m |
| 青葉(水害復興記念像の場所) | 26.7m | 0.5〜3m |
| 末広2丁目(住宅地の標準地) | 31.3m | 色なし |
標高24.0mの住宅地に、5mから10mの水が来ると想定されています。碑の立つ青葉は2.7m高くて0.5〜3m、さらに4.6m高い末広2丁目には色がありません。内陸でも、標高の数字だけでは色を当てられないということです。
洪水浸水想定区域は、川が氾濫したときに浸かると想定される範囲です。想定の対象になっていない川や、降った雨が下水から溢れる内水氾濫は、この図には入りません。区域の意味と読み方は浸水想定区域とは?ハザードマップの見方と注意点にまとめています。
県庁所在地の盛岡市には、163基のうち1基だけ碑があります。大沢川原の「中津川治水碑」(1912年建立)で、明治43年(1910)9月の洪水を「中津川外河川が氾濫して盛岡市全域が冠水」「死傷者2名、家屋の全壊半壊破損及び流失406戸、床上床下浸水2,490戸」と伝えています。盛岡市の住宅地の標準地は44地点で県内最多、標高の中央値は133.9mです。街の成り立ちは盛岡市はどんな町?人口・世帯・住まいを公開データで見るにまとめました。
自分の町で同じことをする手順(無料)
- 国土地理院の「地理院地図」で住所を入れ、「自分で作る色別標高図」を重ねる。沿岸なら海ぞいの青、内陸なら川ぞいの帯のどこに自分の家があるかを見る
- 同じ地理院地図で「自然災害伝承碑」を表示する。全国2,469基、岩手県は163基。記号を選ぶと碑名・建立年・伝承内容が読める
- 碑を見つけたら、碑の地点の標高と自分の家の標高を並べる。碑より下にいるのか上にいるのかが、いちばん短い答えになる
- ハザードマップポータルサイトの「重ねるハザードマップ」で、津波と洪水を1枚ずつ重ねる。岩手は沿岸が津波、内陸が洪水で、開く地図が入れ替わる
- 家から避難場所まで実際に歩いて、時間を測る。標高が高くても、そこまで届かなければ数字は効きません
この連載では、梅田・渋谷・亀戸・真備、横浜の「谷」と「島」、徳島の「島」と「浦」と測ってきました。徳島は「島」が海抜1m、「浦」に13分で津波が来る県で、地名と地形が素直に重なりました。岩手はその逆です。いちばん目につく「第◯地割」が地形を指さず、字を読んでも高さが出てきません。
地名は入口です。岩手では「第◯地割」が海辺にも261mの山にも付き、碑の高さは10.2mから142.5mまで散らばり、海抜17.0mの住宅地にも津波の色がついていました。答えは町名ではなく、自分の家の地点と、そこで開く2枚目の地図にあります。
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この記事の集計条件
標高は国土地理院の地理院タイル「数値標高モデル(DEM5A・5mメッシュ)」を緯度経度で切り出して色別標高図と陰影を作り、淡色地図を重ねました。丸印の数値は各地点の地表の標高(東京湾平均海面からの高さ)で、建物は含みません。地点別の集計は、国土数値情報「地価公示」2026年のうち用途が住宅の岩手県の標準地125地点の住所と、国土地理院の標高APIで取得した標高によります(全国17,612地点の取得は2026年8月20日)。「第◯地割」の集計は、標準地の住所に「第」と「地割」の両方を含む23地点で行いました。
自然災害伝承碑の基数・種別・市町村別の内訳と、碑文の要旨の引用は、国土地理院が公開している自然災害伝承碑データ(2026年8月27日現在・全国2,469基)によります。取得元は同院が配布している一覧(https://www.gsi.go.jp/common/000250768.zip ・2026年8月27日版)で、碑の標高は、このデータの十進経緯度を国土地理院の標高APIで引き直した値です。本文で「碑にこう刻まれている」として引いた被害の数は、すべて同データの伝承内容の記述であって、当サイトの集計ではありません。
津波浸水想定の図は、岩手県が公表した最大クラスの津波浸水想定を、国土地理院が配信するタイル(ハザードマップポータルサイト「重ねるハザードマップ」・作図時点の掲載内容)から作図しました。洪水浸水想定の図は、北上川・磐井川の洪水浸水想定区域図(想定最大規模)の配信タイルです。田老の防潮堤の寸法と東日本大震災の記述は宮古市公式サイトの田老防潮堤の解説ページ、地割の説明はレファレンス協同データベース(提供館:岩手県立図書館)の回答、読者の声は知恵袋2020年10月15日の質問と同日のベストアンサーによります。
写真はウィキメディア・コモンズ(Wikimedia Commons)で公開されている素材を、それぞれのライセンスに従って使用しています。アイキャッチの写真は宮古市重茂姉吉の大津浪記念碑(撮影 T.KISHIMOTO(ティー・キシモト・投稿者名)・クリエイティブ・コモンズ 表示-継承 4.0(CC BY-SA 4.0))です。
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