備前焼は岡山県、備中松山城も岡山県、備後絣は広島県。「備」で始まる国名は隣り合って並んでいるのに、途中で県が変わります。中国地方5県のもとになった国は12。県より7つ多いので、頭の中で対応がつきません。まず12国と今の県の対応をまとめました。
先に結論|中国地方の旧国名12は今のどの県か
| 旧国名(読み) | 今の県 | 名前が残る地名・産物 |
|---|---|---|
| 因幡(いなば) | 鳥取県の東部 | 因幡の白兎、因美線 |
| 伯耆(ほうき) | 鳥取県の中部・西部 | 伯耆大山、伯耆町、伯備線 |
| 出雲(いずも) | 島根県の東部 | 出雲市、出雲大社、出雲そば |
| 石見(いわみ) | 島根県の西部 | 石見銀山、石見神楽、石州瓦 |
| 隠岐(おき) | 島根県の隠岐諸島 | 隠岐の島町、隠岐牛 |
| 美作(みまさか) | 岡山県の北東部 | 美作市、美作三湯、因美線 |
| 備前(びぜん) | 岡山県の南東部 | 備前市、備前焼、備前長船 |
| 備中(びっちゅう) | 岡山県の西部 | 備中松山城、備中高梁、伯備線 |
| 備後(びんご) | 広島県の東部 | 備後絣、備後落合、芸備線 |
| 安芸(あき) | 広島県の西部 | 安芸高田市、安芸の宮島、芸予諸島 |
| 周防(すおう) | 山口県の東部 | 周防大島町、防府、防長 |
| 長門(ながと) | 山口県の西部・北部 | 長門市、長州、長門峡 |
※ 県ごとの大まかな対応です。国の境は今の市町村の境と一致しないので、市の中で国が分かれる場所があります。
なぜ12の国が5つの県になったのか
国が12で、今の県が5つ。7つも減っているのは、明治の県が令制国の境目をそのまま引き継がなかったからです。1871年(明治4年)の廃藩置県は、江戸時代の藩をそのまま県に置き換える作業でした。中国地方でも、まず藩の数だけ県ができ、そこから統合と分離が10年かけて繰り返されます。
隣の九州も同じで、9つあった国が7県に組み替えられました。中国地方より減り方は穏やかです。九州のほうの経緯は九州の旧国名9つ一覧|筑前・肥後・豊後は今のどの県で見られます。
岡山県は3つの県が合体してできた
岡山県が公開している県議会の沿革に、成り立ちがはっきり書かれています。明治4年の廃藩置県で、旧岡山藩は岡山県に、備中と備後東部の6郡は深津県(明治5年に小田県へ改称)に、美作は北条県に編成されました。国と県が1対1で並んでいません。
そして明治8年に小田県が、明治9年に北条県が岡山県に合併し、現在の岡山県域が確定します。つまり岡山県は、いまの姿になるまでに3つの県を1つにまとめています。備中と美作が別々の県として数年間存在していたわけです。
気になるのは備後の東部6郡です。深津県・小田県は備中と備後をまたいでいたので、福山あたりは一時期、岡山側の県に属していたことになります。ただし、その6郡がどの時点で広島県側へ移ったのかは、広島県の公式サイトでは確認できませんでした。ここでは岡山県公式で確認できた範囲にとどめます。
鳥取県は5年間、地図から消えていた
山陰側の動きは岡山県より激しいです。両県の公式サイトに、年月まで残っています。
島根県の説明によれば、明治4年11月に松江・広瀬・母里の3県が合併して島根県が誕生しました。県名は、松江市が古くは島根郡に属していたことに由来するとされています。その翌月、明治4年12月に隠岐が鳥取県へ移されました。鳥取県のほうの説明では、明治4年の時点で因幡・伯耆の2国に隠岐国を加えた3国が鳥取県だったと書かれています。
ここからが本題です。明治9年4月に浜田県(石見側)が島根県へ編入され、同年8月には鳥取県が島根県と合併します。鳥取県の側の記述では「島根県に併合される」。因幡・伯耆・出雲・石見・隠岐の5国がひとつの島根県になった時期が、5年間だけ存在しました。
鳥取県が再び分離されたのは明治14年9月です。このとき隠岐島は島根県に残されました。隠岐が島根県に属しているのは、この明治14年の線の引き方がそのまま今日まで続いているからです。地図で見ると隠岐は鳥取県の沖にも見えますが、県としては島根県側で確定しました。
備前・備中・備後、どれがどこか
中国地方でいちばん混同されるのが「備」の3つです。辞書を引けば備中は「岡山県西部の旧国名」と出てきますが、それだけでは3つの並び順が頭に入りません。並び順には決まったルールがあります。
前・中・後は、都からの距離で決まっている
都(奈良・京都)に近いほうから順に「前」「中」「後」を付ける。これが令制国の命名ルールです。備前・備中・備後は、都に近い順にきれいに東から西へ並んでいます。同じルールでできた名前が越前・越中・越後、豊前・豊後、筑前・筑後です。
関東の上総・下総の「上」「下」も発想は同じで、都に近いほうが「上」です(房総半島だけは陸路ではなく海路で測るため、地図では南が「上」になります)。前後で分ける国と上下で分ける国があるだけで、基準は一貫して都からの距離です。
「備」の3国は、都に近い順に並んでいる(東から西へ)
① 備前(びぜん)=岡山県の南東部
岡山市・備前市・瀬戸内市・赤磐市。都にいちばん近い「前」。
↓
② 備中(びっちゅう)=岡山県の西部
倉敷市・総社市・高梁市・井原市・新見市。備中松山城は高梁市。
↓
③ 備後(びんご)=広島県の東部
福山市・尾道市・三原市・府中市。ここで県が岡山から広島に変わる。
+ もうひとつの「備」
④ 美作(みまさか)=岡山県の北東部
津山市・美作市・真庭市。名前に「備」は付かないが、もとは備前国の一部。
4つ目の国・美作は、713年に備前から分かれた
備前・備中・備後の3国は、もともと「吉備(きび)」というひとつのまとまりでした。それが3つに分けられた時期については史料の解釈が分かれていて、はっきりした年は定まっていません。
一方、美作国が生まれた日付ははっきりしています。津山市が公開している資料に、和銅6年(713年)4月3日に備前国から北部6郡が割かれて美作が誕生した、と記されています。岡山県が3つの国でできているのは、この分立があったからです。吉備が分かれて備前・備中・備後になり、その備前がさらに分かれて美作ができた。二段構えの分割です。
迷ったときは、この2つだけ覚える
覚えることは2つで足ります。ひとつ、都に近い順に前・中・後。ふたつ、備後だけが広島県で、備前と備中は岡山県。この2つで、岡山市=備前、倉敷市=備中、福山市=備後が取り違えずに出てきます。
もうひとつ、地名そのものがヒントになる街があります。広島県の府中市です。府中市の説明によれば、「府中」という名は約1300年前に備後国を治める役所である国府があったことに由来します。備後国府跡は昭和42年以降の発掘調査を経て国の史跡に指定されました。府中という地名を見つけたら、そこが国の中心だった土地だと考えて外れません。
12の国は、今のどこにあたるのか
因幡・伯耆(鳥取県)
鳥取県は東の因幡と、中西部の伯耆の2国です。鳥取県の説明では、大化の改新のあとに因幡・伯耆の二国が置かれたとされています。因幡は鳥取市・岩美町・八頭町のあたり、伯耆は倉吉市・米子市・境港市・大山町のあたりです。
読み方の難所は伯耆で、「はくき」ではなく「ほうき」。伯耆大山(ほうきだいせん)、伯耆町(ほうきちょう)と読みます。岡山と米子を結ぶ伯備線は、伯耆の「伯」と備中の「備」を1文字ずつ取った名前です。この路線名を覚えておくと、伯耆が鳥取の西側だと自然に思い出せます。
出雲・石見・隠岐(島根県)
島根県は出雲・石見・隠岐の3国でできています。出雲は松江市・出雲市・安来市・雲南市を含む東部、石見は浜田市・益田市・大田市・江津市を含む西部、隠岐は隠岐諸島です。
石見は「いしみ」ではなく「いわみ」。世界遺産の石見銀山は大田市、石見神楽も西部の芸能です。屋根に使われる石州瓦の「石州」は石見の別名で、赤茶色の瓦屋根が山陰の風景を作っています。同じ島根県でも、出雲側と石見側では方言も文化圏も別物として語られることが多く、その分かれ目は令制国の境と重なります。
美作・備前・備中(岡山県)
岡山県は北東の美作、南東の備前、西の備中の3国です。備前は岡山市・備前市・瀬戸内市、備中は倉敷市・総社市・高梁市・井原市・新見市、美作は津山市・美作市・真庭市のあたりになります。
備前焼の産地である備前市伊部と、刀で知られる備前長船(瀬戸内市)はどちらも備前。備中松山城のある高梁市は備中です。「岡山県のお城」と覚えるより「備中の山城」と覚えたほうが、地図の上で位置が動きません。
ただし国の境は市の境と一致しません。倉敷市は全体としては備中ですが、児島半島の側はもともと備前側の郡でした。市名で国を判断すると、こうした場所で必ず外れます。
安芸・備後(広島県)
広島県は西の安芸と、東の備後の2国です。安芸は広島市・呉市・廿日市市・東広島市・安芸高田市、備後は福山市・尾道市・三原市・府中市のあたりです。
安芸の宮島(廿日市市)、芸予諸島(安芸と伊予=愛媛の間の島々)、広島と備中神代を結ぶ芸備線。どれも安芸の「芸」から来ています。備後側は備後絣や備後畳表など、産物の名前として国名が残りました。広島県内で「県東部」「備後地方」と呼び分けられるのは、この国境が生活圏の境として今も生きているためです。
周防・長門(山口県)
山口県は東の周防と、西・北の長門の2国です。山口県の文化財の解説には、領地が周防・長門の二国となった毛利氏が萩に城を築いて城下町をつくった、と記されています。江戸時代の長州藩の「長州」は長門の別名で、周防と長門をまとめた「防長」という言い方も今なお使われます。
周防の中心地は現在の防府市です。防府市の説明によると、周防国府は大化改新以降に全国に60余り設置された国府の一つで、佐波(沙婆)の地に置かれ、方八町(約850メートル)の国府域と、その中央に方二町の国衙域から成り立っていました。この周防国府は、文治2年(1186年)に東大寺造営料国として東大寺の管轄となり、その体制が明治初年まで続いたと説明されています。多くの国府が中世に姿を消したなかで、周防国府が原型をよく保っているのはこのためです。
伯備線・芸備線・石州瓦…旧国名は名前の中で生きている
中国地方の旧国名は、路線名と産物の名前の両方に残りました。並べてみると、2つの国の頭文字を組み合わせた名前が多いことに気づきます。
| 名前 | 元になった旧国名 |
|---|---|
| 伯備線 | 伯耆の「伯」+備中の「備」 |
| 芸備線 | 安芸の「芸」+備後の「備」 |
| 因美線 | 因幡の「因」+美作の「美」 |
| 芸予諸島 | 安芸の「芸」+伊予(愛媛)の「予」 |
| 防長・長州 | 周防の「防」+長門の「長」 |
| 石州瓦 | 石見の別名「石州」 |
関東では総武線・常磐線・両毛線のように、旧国名は主に鉄道の路線名として残りました。中国地方も伯備線・芸備線・因美線と路線名は健在ですが、私はこの地方で旧国名を生かしているのは路線名より産物の名前だと考えています。備前焼、石州瓦、備後絣、出雲そば。どれも売り物の名前として国名を名乗り続けていて、県名に置き換わりませんでした。行政の区画は10年で何度も書き換えられましたが、産地のブランド名は書き換える理由がなかった。だから12国のうち多くが、商品のラベルの上で生き延びています。
よくある質問
中国地方の旧国名はいくつありますか?
12です。鳥取県が因幡・伯耆の2国、島根県が出雲・石見・隠岐の3国、岡山県が備前・備中・美作の3国、広島県が安芸・備後の2国、山口県が周防・長門の2国です。隠岐と美作を国として数えるかで合計が変わりますが、島根県は隠岐を含む3国、岡山県は美作を別の県(北条県)として編成した経緯を公式に記載しているため、ここでは12として数えました。
備前・備中・備後は今のどこですか?
備前は岡山県の南東部(岡山市・備前市など)、備中は岡山県の西部(倉敷市・高梁市など)、備後は広島県の東部(福山市・尾道市など)です。都に近い順に前・中・後が付いているので、東から西へ順番に並びます。
岡山県の旧国名は何ですか?
備前・備中・美作の3つです。「備」が付く3国のうち備後だけは広島県なので、岡山県=備前・備中・備後と覚えると1つずれます。美作は713年に備前から分かれた国で、津山市・美作市など県北東部にあたります。
隠岐はなぜ鳥取県ではなく島根県なのですか?
明治4年12月にいったん鳥取県へ移されましたが、明治9年に鳥取県が島根県と合併し、明治14年9月に鳥取県が再び分離されたときに隠岐島は島根県に残されたためです。この線引きがそのまま現在まで続いています。
「中国地方」の中国は何に由来しますか?
都からの距離で国を近国・中国・遠国に分けた区分に由来するという説が知られていますが、確定した定説はなく、諸説あります。少なくとも国名の「備中」の「中」とは別の話です。
まとめ
1. 中国地方には因幡・伯耆・出雲・石見・隠岐・美作・備前・備中・備後・安芸・周防・長門の12国があり、今の5県とは境目がずれている
2. 岡山県は岡山県・小田県・北条県の3県が合併してできた(岡山県公式)。鳥取県は明治9年から明治14年まで島根県に併合されて存在しなかった(鳥取県・島根県公式)
3. 「備」は都に近い順に前・中・後。備前と備中は岡山県、備後だけが広島県。4つ目の美作は713年に備前から分かれた
旧国名を頭に入れてから山陽・山陰の路線図や特産品の名前を見ると、伯備線も石州瓦も1300年前の地名の略称に見えてきます。他の地方の旧国名もあわせてどうぞ。
👉 関東の旧国名8つは今のどの県?武蔵・相模・上総・下総の対応表
出典:島根県「島根県誕生までのあらまし」(出雲・石見・隠岐の3国、明治4年11月の島根県誕生、明治4年12月の隠岐移管、明治9年の浜田県編入と鳥取県との合併、明治14年9月の鳥取県再置、県名の由来)/鳥取県「鳥取県のあゆみ」(大化の改新後の因幡・伯耆2国、明治4年に因幡・伯耆・隠岐の3国で鳥取県、明治9年の島根県への併合、明治14年に隠岐島を島根県に残して再置)/岡山県「県議会の沿革」(明治4年の岡山県・深津県〈明治5年に小田県へ改称〉・北条県の編成、明治8年の小田県合併、明治9年の北条県合併と県域確定)/津山市の公開資料(和銅6年〈713年〉4月3日に備前国北部6郡を割いて美作国が成立)/防府市「周防の国府」(大化改新以降に設置された国府、佐波の地、方八町の国府域と方二町の国衙域、文治2年に東大寺造営料国となり明治初年に至る)/広島県府中市「府中のルーツ 備後国府」(「府中」の地名の由来、昭和42年以降の発掘調査と国史跡指定)/山口県の文化財解説(毛利氏の領地が周防・長門の二国となり萩に築城)。備後東部6郡が広島県へ移った時期は広島県の公式サイトでは確認できなかったため、記述していません。吉備国が備前・備中・備後に分かれた時期、および「中国地方」の名称の由来は諸説あり、断定していません。


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