「陸奥」「出羽」「蝦夷地」…東北・北海道の旧国名、境目と由来を知るとちょっと物知りになれる話
今回も警鐘系ではなく、あるある雑学編です。東北地方は「陸奥(むつ)」と「出羽(でわ)」という2つの旧国、北海道は「蝦夷(えぞ)」と呼ばれていました。今も地名や施設名に残るこの歴史をたどってみましょう。
1. 東北の太平洋側は「陸奥」、日本海側は「出羽」だった
古代の令制国では、東北地方の太平洋側(青森・岩手・宮城・福島)は「陸奥国」、日本海側(秋田・山形)は「出羽国」とされていました。出羽国は8世紀初めに越後国と陸奥国から分離して成立し、その後1000年以上にわたってこの2国体制がほぼそのまま続きました。この広大な区分けが大きく変わったのは、実は江戸時代が終わってすぐの明治元年、戊辰戦争終結直後のことです。
この区分けが示すのは、五畿七道の国割りが定められた当初、東北地方が大和朝廷の完全な支配下にはなかったという歴史でもあります。平安時代を通じて蝦夷との交流・戦いを重ねながら、陸奥・出羽の領域は徐々に北へと拡大していきました。
2. 北海道は箱館戦争後に「11国」へ再編された
北海道はかつて「蝦夷地」と総称されていました。1869年(明治2年)、箱館戦争の終結後に「北海道」という名称が定められ、同時に蝦夷地には渡島・後志・胆振・石狩・天塩・北見・日高・十勝・釧路・根室・千島という11の国が新設されました。これにより、日本の律令制の国区分は五畿七道から「五畿八道」へと拡張されました。わずか150年ほど前まで、北海道全体が一つの広大な「未開の地」として扱われていたことがうかがえます。
3. 今も残る旧国名の痕跡
こうした旧国名は、令制国としての行政区分こそなくなりましたが、今も様々な形で地名や施設名に残っています。「陸奥」は青森県むつ市や、海上自衛隊の護衛艦・戦艦の名前として、「出羽」も同様に艦船名などに使われてきました。「後志(しりべし)」「胆振(いぶり)」「十勝(とかち)」といった北海道の旧国名は、現在も振興局(かつての支庁)の名称としてそのまま使われ続けています。
| 旧国名 | おおよその範囲 | 今に残る名前 |
|---|---|---|
| 陸奥国 | 青森・岩手・宮城・福島(太平洋側) | むつ市、護衛艦「むつ」など |
| 出羽国 | 秋田・山形(日本海側) | 出羽三山、庄内地方の呼称など |
| 蝦夷地→北海道11国 | 北海道全域 | 後志・胆振・十勝などの振興局名 |
旧国名の境目を知ると、なぜ隣り合う県同士で文化や方言が大きく異なるのか、その背景が見えてくることがあります。東北・北海道で土地探しをする際、こうした歴史の重なりを話のタネにしてみるのも面白いものです。
住まい探しの際は、雑学とあわせて災害リスク診断やエリア別 不動産相場で客観的なデータも確認しておきましょう。
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まとめ
1. 東北地方はかつて太平洋側の「陸奥」、日本海側の「出羽」という2つの旧国に分かれ、1000年以上そのまま続いた
2. 北海道は「蝦夷地」と呼ばれ、明治2年の箱館戦争終結後に一気に11の国へ再編された
3. 旧国名は今も振興局名や地名、艦船名などに残り、東北・北海道の文化や地域性を知る手がかりになる
旧国名を意識しながら地図を眺めると、いつもの日本地図が少し違って見えてきます。ぜひ次の旅行や土地探しの雑談のネタにしてみてください。


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