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八王子城跡 心霊 なぜ/落城と御主殿の滝

八王子城跡は、1590年に実際に攻め落とされた城です。「御主殿の滝の水が三日三晩、血で赤く染まった」という話は、八王子市の公式の散策マップにも「伝えられます」として載っています。心霊の話は、この落城の記録の上に乗っています。

ただし、市がいま来場者に向けて書いている注意は、霊の話ではありません。夜の車の音と大声、暗い中での事故、そしてクマです。

2026年10月18日(日)には、御主殿跡のまわりで「第15回 八王子北条氏照まつり」が開かれます(雨天中止)。市によると、当日は見学や駐車場の利用が難しくなります。

先に結論

  • ✓ 落城は史実。天正18年(1590年)6月23日、前田利家・上杉景勝の軍に攻められた。城主の北条氏照は小田原にいて不在だった
  • ✓ 江戸時代に立ち入れなかったのは、祟りではなく幕府の森「御林」だったから
  • ✓ 発掘で出た遺物は7万点超。国内でここだけのベネチアのレースガラスもある
目次

落城の日に何があったか

八王子城は、小田原北条氏の3代目・氏康の三男、北条氏照が築いた山城です。八王子市によると、氏照が滝山城から移ったのは1584年から1587年のあいだとする説が有力で、落城のときもまだ完成していなかったと考えられています。

天正18年(1590年)6月23日、豊臣秀吉の関東攻めの一つとして、前田利家・上杉景勝の軍が城を攻めました。市の散策マップによると、上杉軍に攻められた小宮曲輪(こみやくるわ)が落ちたのを引き金に、山頂の曲輪が次々に破られています。

この落城が決め手になって、籠城を続けていた小田原城は開城し、北条氏は滅びました。

項目 八王子市などの資料にある内容
所在地 八王子市元八王子町3丁目・西寺方町・下恩方町
築いた人 北条氏照(小田原北条氏3代・氏康の三男)
落城 天正18年(1590年)6月23日(前田利家・上杉景勝の軍)
国の史跡 1951年6月9日に指定
日本100名城 2006年に選定(No.22)
見学料 無料
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読者

城主がいなかったなら、城には誰がいたの?

おかあさん

市の散策マップは「御主殿にいた北条方の武将や婦女子ら」と書いています。何人いたのかは、今回確かめた市の資料には出てきませんでした。

氏照はこのとき、小田原城にこもっていました。開城のあと、兄の氏政とともに城下で切腹しています(市の保存管理計画では7月11日)。

御主殿の滝の言い伝え

御主殿(ごしゅでん)は、氏照の館があった場所です。そのそばを流れる城山川に、御主殿の滝があります。

八王子城跡の御主殿の滝。岩の間を細く水が落ちる
八王子城跡の御主殿の滝(2005年)(写真:じゃんもどき/CC BY-SA 3.0/Wikimedia Commons(ウィキメディア・コモンズ))

市の散策マップは、この滝について次のように説明しています。落城のとき御主殿にいた武将や婦女子らが、滝の上流で自刃して次々に身を投げ、その血で城山川の水は三日三晩赤く染まったと伝えられる、と。

雑誌『散歩の達人』(2023年11月号)の八王子の怪談を歩く特集では、供養のために赤飯を炊いたところ川の色が透明に戻った、という話も紹介されています。

私は、この城跡が心霊の話で語られ続けるのは、言い伝えが作り話の上ではなく、落城という記録の上に乗っているからだと考えています。落城の日付まで市の資料に残る場所なので、怖い話も「本当かもしれない」と受け取られやすいのです。

封印の噂と幕府の御林

同じ特集で、怪談作家の川奈まり子さんは「八王子城は祟りを怖れた徳川家康が封印し禁足地にした」と話しています。

立ち入れなかったこと自体は、記録でも確かめられます。八王子市の保存管理計画によると、江戸幕府ができたあと城跡は幕府の直轄の森「御林」になり、事実上の立ち入り禁止区域でした。明治以降は国有林です。

ただ、記録に書かれているのは森の管理で、祟りではありません。1846年から1852年ごろには、代官の江川太郎左衛門英龍による植林で林道が開かれ、遺構が壊されたとも伝えられています。

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読者

じゃあ、亡くなった人を気にかける人はいなかったの?

おかあさん

弔いは記録に残っています。1689年には氏照の百回忌の法要が開かれ、宗関寺の梵鐘は、八王子城の戦死者の供養のために鋳造・寄進されたと八王子市が説明しています。

人が入らなかったおかげで、御主殿のまわりの遺構は良い状態で残りました(八王子市)。封印の話は、結果として城跡を守った森の歴史を、別の物語で語り直したものとも読めます。

発掘で出た7万点の遺物

市は1986年度から発掘調査を進め、1992・93年度に御主殿を全面的に調べました。散策マップによると、大きな建物の跡や池を配した庭園の跡が見つかり、出てきた遺物は7万点を超えます。6年かけてかけらをつなぎ合わせ、2,436個体に復元しました。

その中には、イタリアのベネチアで作られたレースガラスの器があります。日本で出土しているのは八王子城だけです(八王子市)。

落城400年の1990年には、御主殿の石垣や、虎口(こぐち)と呼ばれる出入口の通路を整備しました。発掘で確かめた当時の石畳や石垣を、できるだけ使って復元しています。

復元された八王子城跡の御主殿の虎口と石段
復元された御主殿の虎口と石段(2009年)(写真:Mocchy(モッチー)/パブリックドメイン/Wikimedia Commons(ウィキメディア・コモンズ))
八王子城跡の年表。1590年6月23日の落城から、江戸幕府の御林、1951年の国史跡指定、御主殿の発掘、2012年のガイダンス施設開館まで
八王子城に起きたことを年表にした図。緑は記録に残る出来事、茶色は言い伝えや心霊として語られてきた出来事(作図:おかあさんのおうち)

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夜はお断り、昼は無料

検索候補には「八王子城跡 危険です」という言葉も出てきます。八王子市がページに「注意喚起」として書いている内容は、次のとおりです。

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夜間・深夜の来場は固くお断り。夜の車の音や大声が近くに住む人の迷惑になり、警察へ通報される案件や、暗い中での自動車事故も起きています(八王子市)。

もう1つはクマです。城跡の周辺ではツキノワグマが目撃されていて、市は最新の目撃情報を確かめ、クマ鈴などで備えるよう呼びかけています。整備されていない場所へ入るのも危険だとしています。

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昼に行くなら、見学は無料です。駐車場は午前9時から午後5時までで、時間外は使えません。ガイダンス施設も午前9時から午後5時まで開いていて入館は無料、日本100名城のスタンプもここにあります。電車ならJR高尾駅北口から西東京バスで「霊園前・八王子城跡入口」まで行き、歩いて約20分。土日祝は「八王子城跡」行きのバスもあります。

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読者

心霊スポットとして見に行くのは、やめたほうがいい?

おかあさん

夜に行くのはやめてください。市が断っているのは夜の来場で、昼の見学は受け入れています。管理棟から本丸跡までは約40分の山道です。

私は、八王子城跡を「心霊スポット」と覚えるより、「夜は来場お断り、昼は無料の史跡」と覚えておくほうが正確だと思います。御主殿の滝も、昼に行けば言い伝えの場所として静かに見られます。

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この記事を書いた人

ハウスメーカー2社で営業職を経験し、不動産・建築の基礎を習得。
その後、地域密着型の不動産会社にて営業事務として勤務し、
契約書作成、ポータルサイト管理、物件情報の入力・更新など、
実務全般に携わってきました。

特に、ポータルサイトを「より魅力的に見せる工夫」や、
反響につながる「分かりやすい間取り図作成」を得意としています。
自分が関わった物件に反響があった時の喜びが、今の原動力です。

現在は子育てのため一線を退いていますが、
これまでの実務経験を活かし、
フリーランスとして不動産会社様向けの
バックオフィスサポート業務を開始しました。

現場目線を大切にしながら、
「早く・正確に・伝わる」業務サポートを心がけています。

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