「桜島」「磐梯山」…噴火で集落が消えた話と、火山周辺の地名が伝える災害の記憶
日本には110の活火山があり、火山の周辺には長い歴史の中で噴火の被害を受けてきた土地が数多くあります。今回は桜島と磐梯山という2つの噴火の記録から、火山周辺の土地の成り立ちについて紹介します。
1. 桜島の大正大噴火で溶岩に埋まった集落
1914年(大正3年)、桜島は20世紀の日本国内で最大規模となる噴火を起こしました。この「大正大噴火」では約13億立方メートルの溶岩が流出し、死者・行方不明者58名を出す大災害となりました。
この噴火で流れ出た大量の溶岩により、脇・有村・瀬戸という集落が完全に埋没しました。さらに西桜島村北西側の小池・赤生原・武・藤野・西道の5集落も、噴石や火山灰によって約700戸が焼失しています。そして、それまで海で隔てられていた桜島と大隅半島は、流れ出た溶岩によって地続きになりました。現在も桜島南東部を歩くと、当時の溶岩原の上に木々が育っている様子を見ることができます。
2. 磐梯山の噴火で生まれた「裏磐梯」の湖沼群
1888年(明治21年)、福島県の磐梯山が水蒸気爆発を起こし、山体の一部が崩壊して大規模な岩屑なだれ(山の斜面が高速で崩れ落ちる現象)が北麓の集落を襲いました。この災害により5村11集落が埋没し、461人が犠牲になりました。
岩屑なだれは長瀬川とその支流をせき止め、桧原湖・小野川湖・秋元湖をはじめとする数百もの湖沼を新たに作り出しました。現在「裏磐梯」と呼ばれ多くの観光客が訪れるこの美しい湖沼群は、もとをたどれば火山災害によって集落が水没した結果生まれた地形です。桧原湖には、噴火前に存在した桧原村の一部が今も湖底に沈んでいると伝えられています。
| 火山 | 噴火年 | 土地への影響 |
|---|---|---|
| 桜島(鹿児島県) | 1914年(大正大噴火) | 複数集落が溶岩に埋没、大隅半島と地続きに |
| 磐梯山(福島県) | 1888年 | 5村11集落が埋没、跡地に桧原湖など裏磐梯の湖沼群が誕生 |
3. 「美しい景勝地」の成り立ちが災害の跡地であることも
桧原湖や裏磐梯の湖沼群は、今では東北を代表する景勝地として親しまれています。しかしその成り立ちを知ると、穏やかな湖の風景の下に、かつての集落と噴火の記憶が積み重なっていることがわかります。同じように、桜島の溶岩原の上に育った森も、100年余りの年月をかけて自然が土地を覆っていった結果です。
これは「その土地が今も危険」という意味ではありません。むしろ大切なのは、美しい景観や地名の響きだけを見るのではなく、その土地がどのような自然の力によって形づくられてきたかを知っておくことです。
4. 火山のリスクは公的なハザードマップで確認できる
日本には現在も110の活火山があり、気象庁は各火山について「火山ハザードマップ」や噴火警戒レベルを公開しています。桜島や磐梯山のように活動を続ける火山の周辺では、居住地や観光での滞在にあたって、こうした公的な情報を確認しておくことが有効です。
噴火や地震による停電時は、情報収集の手段を確保しておくことも重要です。手回し充電対応の防災ラジオライトなら、電池切れでもハンドルを回すだけでラジオとライトが使えるので、1台備えておくと安心です。
災害リスク診断では、住所を入力するだけで土砂災害・洪水・地震などのリスクをまとめて確認できます。気になる土地があれば、まず公的なデータで調べてみましょう。
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まとめ
1. 1914年の桜島大正大噴火では複数の集落が溶岩に埋没し、桜島は大隅半島と地続きになった
2. 1888年の磐梯山噴火では5村11集落が埋没し、その跡地に桧原湖など裏磐梯の湖沼群が生まれた
3. 美しい景勝地の中には火山災害の跡地であるものもあり、リスクは気象庁の火山ハザードマップや公的データで確認できる
火山周辺の土地は、長い年月をかけて自然の力と人の暮らしが積み重なってできています。景観の美しさだけでなく、その成り立ちにも目を向けてみましょう。


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