🗨️「小林信彦さんはいつ亡くなったの?どんな作品を書いた人?」
10月19日に東京都内の病院で亡くなりました。93歳でした。ただし公表は4日後の23日で、報道によると新潮社が発表しています。代表作は『唐獅子株式会社』や「オヨヨ大統領」シリーズなどの小説と、喜劇人を論じた『日本の喜劇人』です。
亡くなった日と発表
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 亡くなった日 | 2026年10月19日 午前11時31分 |
| 場所 | 東京都内の病院(時事通信によると杉並区) |
| 死因 | 多臓器不全 |
| 年齢 | 93歳 |
| 葬儀 | 近親者で済ませた |
| 発表 | 10月23日、新潮社(デイリースポーツによると) |
亡くなった日時と死因は、時事通信と共同通信の報道で一致しています。デイリースポーツによると、小林さんは今月に入って体調をくずして入院し、治療を受けていました。
新潮社のサイトには、10月24日未明の時点で発表文が載っていません。日時や葬儀の扱いは、報道各社の記事で確かめた内容です。
代表作と受賞歴
新潮社の著者紹介は、主な小説に『大統領の密使』『唐獅子株式会社』『紳士同盟』『夢の砦』『ぼくたちの好きな戦争』『うらなり』などを挙げています。よく名前が出る作品を、出版社の紹介をもとに並べました。
| 作品 | どんな本か |
|---|---|
| 『オヨヨ島の冒険』 | 小学5年の大沢ルミの一家が、秘密組織にねらわれる冒険コメディー。なぞの「オヨヨ大統領」が登場(角川文庫版は1974年刊) |
| 『唐獅子株式会社』 | やくざの一家が「シティ・ヤクザ」に変わろうとして騒動を起こす、パロディーの連作10編(新潮文庫版は1981年刊) |
| 『日本の喜劇人』 | エノケン、ロッパから萩本欽一さん、たけしさんまで、喜劇人の素顔を書いた評論。1973年に芸術選奨新人賞 |
| 『うらなり』 | 夏目漱石の『坊っちゃん』の登場人物、うらなりの目から、その後の人生を描いた小説。2006年に菊池寛賞 |
| コラム「本音を申せば」 | 「週刊文春」で23年続いた連載。2022年1月刊の『日本橋に生まれて』で完結 |
日本文学振興会が公表している菊池寛賞の授賞理由は、純文学から映画研究、コラムまで多方面に書いてきた「文業の円熟と変わらぬ実験精神によって『うらなり』を完成させた」ことです。
生まれと経歴
新潮社の著者紹介によると、小林さんは1932年、東京の旧日本橋区米沢町で、和菓子屋の長男として生まれました。いまの中央区東日本橋2丁目にあたります。

写真の出典
撮影 Artyom Svetlov(アルチョム・スヴェトロフ)、ウィキメディア・コモンズ、クリエイティブ・コモンズ 表示 4.0。縮小して掲載。
早稲田大学を出たあと、江戸川乱歩の勧めで推理小説誌「宝石」に批評を書き、雑誌「ヒッチコックマガジン」の創刊編集長も務めました。テレビでは坂本九さんや植木等さんのバラエティー番組づくりに加わり、その経験が『日本の喜劇人』につながっています。
2021年に『決定版 日本の喜劇人』、2024年に『決定版 世界の喜劇人』を新潮社から出しています。子ども向けの『オヨヨ島の冒険』から『坊っちゃん』のその後を書いた『うらなり』まで、幅の広さがきわだつ作家でした。
写真の出典
アイキャッチ:万年筆と方眼紙のイメージ写真(Pexels。文字を重ねています)
公式出典
- デイリースポーツ「小林信彦さん死去 今月に入って体調不良で入院」(2026年10月23日発表)
更新履歴
- 2026年10月24日 初版を公開(10月23日の報道と、新潮社・文藝春秋・日本文学振興会の公開情報にもとづく)
※本記事は2026年10月24日時点の報道と、出版社などの公開情報にもとづきます。
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