今回もあるある雑学編です。九州にはかつて筑前・筑後・豊前・豊後・肥前・肥後・日向・薩摩・大隅という9つの令制国がありました。「九州」という呼び名自体も、この9つの国に由来しています。
先に結論:9つの国は今のどの県か
| 旧国名 | 今のどこか |
|---|---|
| 筑前(ちくぜん) | 福岡県の北西部。福岡市・宗像市・糸島市など |
| 筑後(ちくご) | 福岡県の南部。久留米市・柳川市・大牟田市など |
| 豊前(ぶぜん) | 福岡県の東部(行橋市・豊前市・北九州市の一部)と大分県の北部(中津市) |
| 豊後(ぶんご) | 大分県の大部分。大分市・別府市・日田市など |
| 肥前(ひぜん) | 佐賀県と長崎県(壱岐・対馬を除く) |
| 肥後(ひご) | 熊本県 |
| 日向(ひゅうが) | 宮崎県 |
| 大隅(おおすみ) | 鹿児島県の東部。鹿屋市・霧島市と、種子島・屋久島 |
| 薩摩(さつま) | 鹿児島県の西部。鹿児島市・薩摩川内市など |
9つの国が今の7県になったのは、1871年(明治4年)の廃藩置県以降の統廃合によるものです。県境と国境がずれた理由は記事の後半で説明します。
1. 「前」「後」は都からの距離で決まっていた
筑前と筑後、豊前と豊後、肥前と肥後——九州には「前」と「後」がペアになった国名が3組あります。この「前」「後」の区分けは、都と地方を結ぶ重要な街道に沿って、都に近い方を「前」、遠い方を「後」とする基本ルールに基づいています。
古代、九州北部一帯は「筑紫(つくし)」と総称されており、大化の改新によって筑前・筑後の2国に分けられました。「筑紫」という名前自体は、大宰府へ向かう古道が石畳造りだったことに由来する「築石(ちくいし)」から来ているという説があります。国境には実際に境石が置かれ、北側が筑前、南側が筑後とされました。
旧国名と地名をもっと調べるなら
旧国名は今の県境と一致しないので、文章だけだと境目が頭に入りません。地図で一度見ておくと、次に別の国名が出てきたときに迷いません。
摂津・河内・和泉のように、旧国名は今の県境と一致しません。全国を旧国名のまま重ねた地図帳なので、「どこからどこまでか」を一度に確かめられます。
昔の地図そのものを見ると、地名が付いた順番や、海だった場所が分かります。地名の由来を調べるときの答え合わせに使えます。
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2. 「豊国」は穀倉地帯、「肥国」は阿蘇の火に由来
豊前・豊後のもとになった「豊国(とよのくに)」は、文字通り「豊かな国」を意味します。九州北部から東部にかけては古くから稲作が盛んで、朝廷にとって重要な穀倉地帯だったことから、この字が使われたと考えられています。
一方、肥前・肥後のもとになった「肥国(ひのくに)」は「火の国」を意味し、その名は熊本県の阿蘇山の火山活動に由来するとされています。現在も熊本県が「火の国」の愛称で呼ばれるのは、この古い国名の記憶が受け継がれているためです。
| 旧国名 | 現在のおおよその範囲 |
|---|---|
| 筑前・筑後 | 福岡県北部・南部 |
| 豊前・豊後 | 福岡県東部〜大分県 |
| 肥前・肥後 | 佐賀・長崎県、熊本県 |
| 日向・薩摩・大隅 | 宮崎県、鹿児島県西部・東部 |
3. 「九州」の呼び名も旧国名から生まれた
現在の九州地方は福岡・佐賀・長崎・熊本・大分・宮崎・鹿児島の7県ですが、「九州」という呼び名は、かつてこの地に9つの国(筑前・筑後・豊前・豊後・肥前・肥後・日向・薩摩・大隅)があったことに由来しています。県の数と国の数が一致しないのは、廃藩置県後の統廃合で県境が旧国境とは異なる形に再編されたためです。
「肥後守(ひごのかみ)」という小刀の名前や「筑前煮」という郷土料理の名前も、もとをたどれば律令時代の国名にたどり着きます。日常に溶け込んだ言葉の中に、1000年以上前の行政区分の記憶が今も生きているのです。
旧国名の歴史を知ったうえで、実際の土地探しでは公的なデータもあわせて確認しましょう。災害リスク診断やエリア別 不動産相場もあわせてご活用ください。
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9つあった国が7県になった理由
九州を数えると県は7つしかありません。国の数と合わないのは、1871年(明治4年)の廃藩置県が「国」ではなく「藩」を単位に行われたからです。藩がそのまま県に置き換わったあと、同じ年の暮れから統廃合が進み、いまの形に落ち着きました。国の境を無視して藩の領域で線を引いたので、県境と国境はもともと一致していません。
そのずれがいちばんはっきり出たのが豊前国です。豊前は北側が福岡県、南側が大分県に分かれました。中津市(大分県)と行橋市(福岡県)は今でこそ別の県ですが、江戸時代までは同じ豊前国です。中津から北九州にかけての文化圏が県境をまたいでつながって見えるのは、この名残です。
逆に、肥後国はまるごと熊本県、日向国はまるごと宮崎県になりました。ひとつの国がひとつの県になった例のほうが少なく、9国のうち県と一対一で対応するのは肥後・日向の2つだけです。
「九州」に壱岐と対馬が入らないのはなぜか
律令制で九州にあたる区分は「西海道(さいかいどう)」で、こちらは9国ではなく11国です。9国に壱岐国と対馬国を足した数になります。ただし壱岐と対馬がこの9国に編入されたことは一度もなく、「九州」という呼び名はあくまで九州島内の9国を指してきました。
今は壱岐市も対馬市も長崎県ですが、国としては肥前国とは別扱いだったわけです。長崎県の島を「肥前」と呼ぶ資料に出会ったときは、壱岐・対馬が含まれているかを確かめてから読むと取り違えずに済みます。
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まとめ
1. 九州にはかつて筑前・筑後・豊前・豊後・肥前・肥後・日向・薩摩・大隅の9つの令制国があり、「九州」の呼び名の由来になっている
2. 「前」「後」は都からの街道の距離で決まり、「豊国」は豊かな穀倉地帯、「肥国」は阿蘇の火山活動に由来する
3. 旧国名は今も「肥後守」「筑前煮」といった言葉や県の愛称に残り、日常の中に歴史が息づいている
何気なく使っている言葉の由来をたどると、九州の成り立ちがぐっと身近に感じられます。旧国名を意識しながら、九州各地の街を歩いてみるのもおすすめです。
よくある質問
旧国名の「前」と「後」はどうやって決まったのですか?
都と地方を結ぶ重要な街道に沿って、都に近い方を「前」、遠い方を「後」とする基本ルールに基づいています。筑前・筑後の国境には実際に境石が置かれ、北側が筑前、南側が筑後とされました。
九州は7県なのに、なぜ「九州」と呼ぶのですか?
かつてこの地に筑前・筑後・豊前・豊後・肥前・肥後・日向・薩摩・大隅という9つの国があったことに由来します。県の数と国の数が一致しないのは、廃藩置県後の統廃合で県境が旧国境とは異なる形に再編されたためです。
「肥後」の「肥」にはどんな意味がありますか?
肥前・肥後のもとになった「肥国(ひのくに)」は「火の国」を意味し、その名は熊本県の阿蘇山の火山活動に由来するとされています。熊本県が今も「火の国」の愛称で呼ばれるのは、この古い国名の記憶が受け継がれているためです。
「豊前」「豊後」の「豊」は何を表していますか?
もとになった「豊国(とよのくに)」は文字どおり「豊かな国」を意味します。九州北部から東部にかけては古くから稲作が盛んで、朝廷にとって重要な穀倉地帯だったことから、この字が使われたと考えられています。


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